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許す愛と美について

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    今日は、許す愛と美について探究してみたいと思います。

     

     

    最近の探究テーマは愛と許しなのですが、

    一方で仏法真理に基づく作品づくりをしていく上で、

    善悪と正義の問題は切っても切れないテーマであると思います。

     

    勧善懲悪のストーリーを描く作品はスカッとして

    面白かったりするのですが、

    特に宗教的価値観に基づく作品の場合、

    どこかステレオタイプなキャラクターだったり、

    悪人は悪人、善人はずーっと善人という描き方に

    なってしまうかもしれません。

     

    かといって、最近よくあるダークヒーロー的な

    描き方をしたいのではなく、

    やはり善悪と正義の宗教的真理について、

    もっと深い描写ができたらと思うのです。

     

    「許す愛」について、

    『大川隆法名言集 大川隆法牋Δ粒鞠悪疇門』

    では次のように説かれています。

    人を“生かす”指導者にはまだ、“この世における成功”などを重視する、厳しい面が強くあります。

     

    しかし、「許す愛」の境地に達した存在は、善悪を超えたものの見方をします。

     

    この世的な脱落者や、敵をも“愛”で包み込みます。

     

    その背景には、人間の本質をすべて神仏の子として見る、という前提があります。

     

    そうして初めて、敵と見えし者の本質にも仏性を見ることが出来るのです。

     

    引用:『大川隆法名言集 大川隆法牋Δ粒鞠悪疇門』

     

    「許す愛」は、善悪を超え、

    人間の本質をすべて神の子として見る。

    敵と見えし者の本質に

    仏性を見ることができる境地。

     

    本来神の子である人間が、

    この世で無明のなかで魂修行をしていく。

    善も悪も経験しながら魂を磨いていくなかで、

    気づきを得て魂が輝く。

    それを見守り、導いている仏の慈悲が

    感じられるような世界観を描きたい。

     

    そんなテーマを持ちながら

    教学をしていた時に見つけた一節を

    ご紹介いたします。

     

    天御中主神

    「どのような環境においても、どのような泥まみれの悪のなかにおいても、射し込む神の光のような一条の善、一条の美があったなら、それはそれで素晴らしいダイヤモンドであると見るのが、われらの教えであります。(中略)

     

    たとえ強盗として極悪非道に生きてきた人であっても、また、その人生のほんの一瞬であって、世の中にそれほど価値のあることでなくても、神の子としての一条のきらめきが出たときに、(中略)私たちは最高の宗教の芸術を見るのです。(中略)

     

    宗教を芸術として見た場合に、その善なり、その美なり、その光というものは、決して量ではないのです。大部分の時間がそうであったとか、その人の行いのうちの大部分が善であったとか、そういったことではないのです。(中略)

     

    本来であるならば、醜い動物として地中に潜っていることがよいことではないのです。一日も早く羽化して、美しい羽根でもって大空を飛び、美しい鳴き声を聞かせるのが、本来の彼らの姿なのですが、たとえ土のなかに潜っている時期が長かろうとも、彼らが天をかけるその一瞬が素晴らしいものであるならば、質は、あるとき量に変わるのです。質が量に変わることがあるということです。

     

    (中略)

     そんな善とか悪とかいう二元ではないのです。時間の長さも行為の多さも必要ではないのです。人生のあるゆる局面において美を見るということ、芸術を見るということが大切なのです。」

     

    引用:『大川隆法霊言全集』第8巻

     

    どんな悪人と呼ばれる人であろうとも、

    人生の一瞬に神の子としての一条の魂の煌めきが

    でたときに、そこに美がある。

     

    どれだけ泥だらけで生きてきたとしても、

    どれだけ土に潜っている時期が長かろうとも、

    魂から光がほとばしる一瞬がほんとうに

    素晴らしいものであるならば、

    その質は、あるとき量に変わるのだということ。

     

    この質が量に変わるという箇所については、

    最初、芸術家としても多作をすると

    量が質に変わっていくという考えがあるので

    よく理解できませんでした。

     

    しかし、この質があるとき量に変わる

    ということは、

    美という観点から見たら、

    善悪は量だけではないのかもしれないと

    思い至りました。

     

    青虫が蛹になり、

    ずっと暗いところを潜っていたとしても、

    最後の一瞬でも本来の蝶の姿となり、

    大空を美しく飛んだなら、

    それは美しき人生といえるでしょう。

     

    ゴッホの霊言では次のように説かれています。

     

    「芸術家というのは、結局、美ということを通して善悪を超えねばならんと私は思うんですよ。

     

    善い生き方、悪い生き方、善人、悪人、いろいろな考え方はあると思うのだけれども、芸術家というものは、そうした道徳論は超えないといかんね。

     

    何を通して超えるかといえば、美を通して超えるんですよ。

     

    美というものを通して、この善悪を超えていけるのです。

     

    この善悪の陰陽はね、美という観点から止揚され、統合されていくんですよ。(中略)

     

    善悪を超えるものは美です。

     

    これは、どういうことかというと、「神は、なぜ善と悪を創られたか」というふうに考える人も数多くいると思うけれども、結局、「神には、美の観点から善悪を創っておられる面がある。

     

    美の観点から、光と闇を創っておられるところがある」ということなのです。

     

    それは、「味わいの深いものを創るためにやっている」ということだ。」

     

    引用:『大川隆法霊言全集』第38巻

     

    「罪を憎んで人を憎まず」

    という言葉もありますが、

    敵とみえし者をも許す愛の力を深め、

    美しき人生を目指していきたいものです。

     

     

     

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