「ソクラテス、ムゥサイの術をなし、
それを仕事とせよ」。
死刑執行の直前、
ソクラテスは夢のなかで、
そう告げられた。
ムゥサイの術とは、何か。
その答えは、記事の最後に置く。
今日は、ムーシケー、
そしてソクラテスと音楽について
探究してみたいと思う。
ソクラテス
(紀元前469年頃 –
紀元前399年)は、
古代ギリシャ、
アテナイの哲学者である。
「哲学の祖」として、
釈迦、キリスト、孔子と並び
「四聖」と称えられる偉人だ。
デルフォイの神託所で、
もっとも知恵あるものは
ソクラテスであるという
神託を受けた。
「自分は何も知らない」ということを
自覚している。
その「無知の知」をもとに、
他の知者を自称する人々を
次々と論破していったことは
有名である。
この古代ギリシャの哲人が、
音楽について言及している。
そのことは、
音楽家にはあまり
知られていないかもしれない。
今日は、ソクラテス
(正確にはプラトンが書いた
ソクラテスの言葉)の音楽論について
紹介していく。
ムーシケーとは
ムーサと呼ばれるギリシャ神話の女神は、
技芸・文芸・学術・音楽・舞踏などを
司る女神であった。
ムーサが司る技芸などの総合芸術を
ムーシケーと呼ぶ。
「音楽(music)」という言葉は、
ラテン語のムシカ、
ギリシャ語のムシケー(mousikē)が
由来といわれている。
古代ギリシャ人の考え方として、
黄金比率など、
「数の比」の関係に
調和の秘密があるといわれていた。
古代ギリシャのピタゴラスは、
協和音程の比率、
すなわち調和の法則において、
宇宙(マクロコスモス)と
人間(ミクロコスモス)の構造が
同じではないかと考えた。
ムーシケーの中に見出される
調和(ハルモニア)が
あらゆる秩序の原型である。
だから、
音楽を通して人間を教育することも、
世界に調和を与えることもできる。
そう考えられていたのである。
ムーシケーは音楽だけではなく、
本来は詩・音楽・舞踊の
三つの要素から成立していた。
つまり、詩を音楽的に節づけ、
集団的に踊られていたのが
ムーシケーだった。
その後、ムーシケーから
詩・舞踊の要素がどんどん抜けていった。
ついに、ムーシケーは
音楽「だけ」を指すようになった。
三つでひとつだったものが、
ひとつだけになったのだ。
<ムーシケーとは>ソクラテスの説く音楽による魂の教育
ここで、
ムーシケーと音楽の理解を深めるために、
ソクラテスが語る音楽と魂の関係を
紐解いてみたい。
プラトンの『国家』に、
こんな一節がある。
ソクラテス
「音楽・文芸に由る教育は
(若者に)、
決定的に重要なのではないか。
なぜならば、
リズムと調べというものは、
何にもまして魂の内奥へと
深くしみこんでいき、
何にもまして力づよく
魂をつかむものなのであって、
人が正しく育てられる場合には、
気品ある優美さをもたらして
その人を気品ある人間に形作り、
そうでない場合には
反対の人間にするのだから。
そしてまた、
そこでしかるべき正しい教育を
与えられたものは、欠陥のある、
美しく作られていないものや
自然において美しく
生じていないものを
最も鋭敏に感知して、
かくてそれを正当に嫌悪しつつ、
美しいものをこそ賞め讃え、
それを喜びそれを魂の中へ
迎え入れながら、
それら美しいものから
糧を得て育まれ、
みずから美しく
すぐれた人となるだろうし、
他方、醜いものは
正当にこれを非難し、
憎むだろうから―まだ若くて、
なぜそうなのかという
理(ことわり)を
把握する事が
できないうちからね。
やがてしかし、
理が彼にやって来たときには、
このように育てられたものは
誰にもまして、
その理と親近な間柄と
なっているために
すぐ選別できるから、
最もそれを歓び
迎えることになるであろう。」
ここでソクラテス
(プラトンの主張も
含まれていると思われる)は、
音楽と文芸による教育は
決定的に重要である。
なぜならば、リズムと調べは
何にもまして魂の内奥へと
深く染み込んでいき、
何にもまして力強く
魂を掴むものであって、
音楽と文芸による教育で
正しく教育された場合には、
気品ある優美さをもたらして
人を正しく導くと説いている。
次の節を読み解くと、こうなる。
この音楽と文芸による教育は
「真・善・美」の美において、
美しいものを鋭敏に感知して
美醜をより分けられる人間と
なるための教育であるということだ。
次の一節では、体育も加えて、
理想の教育論が展開されている。
音楽・文芸と体育とを
最もうまく混ぜ合わせて、
最も適宜な仕方でこれを魂に
差し向ける人、
そのような人をこそわれわれは、
琴の弦相互の調子を
合わせる人などよりも
はるかにすぐれて、
最も完全な意味で
音楽的教養のある人、
よき調和を達成した人であると
主張すれば、
いちばん正しいことに
なるだろう。
(中略)
われわれの国家においても、
監督者として
何かそのような人を
つねに必要とするだろうねー
その国制が
維持されるべきならば。
引用:プラトン『国家』
精神だけでは足りない。
肉体だけでも足りない。
音楽・文芸と体育を、
最も適宜な仕方で魂に差し向ける人。
すなわち魂の教育において
音楽的素養、文学的素養と
体育教育で得られる規律の
バランスが取れた
調和された人格の人であり、
音楽・文芸を象徴する「精神」と
体育にみる「肉体」、
この「精神」と「肉体」が
調和された人物こそ、
監督者・リーダーにふさわしいと
述べているのである。
<ムーシケーとは>ハルモニア(旋法)による魂への影響
そして、ある論文の一節に、
ソクラテスが旋法について述べた部分が、
次のように書かれている。
(1)実践としての音楽
『国家』では,
以下のように規定された
「音楽」を奏でることで,
魂を調和した状態に導くことが
示されている。
まず,歌は,歌詞、ハルモニア、
リズムからなると定義され、
ハルモニアとリズムは、
歌詞に従うものと位置づけられた
(Plato Republic, 398D
邦訳 藤沢)。
歌詞は,悲しみや嘆き、
怠惰や柔弱さを
表すものではなく、
勇気や節制を
表すものである必要があった。
したがって、
歌詞に従う
ハルモニアにとっても,
悲しみや嘆きを表す
ミクソリュディアや
シュントノリュディア、
怠惰や柔弱さを表す
イオニアやリュディアは
排除すべきとされた。
望ましいハルモニアとして
あげられているのは、
勇気ある人の調子を
模倣するドリア、
節度ある人の調子を
模倣するフリギアであった
(Plato Republic,
398D-399C 邦訳 藤沢)。
このように,「勇気」、「節制」
などの「徳」を表す歌詞、
ハルモニア、リズムからなる
「音楽」を奏でる
「実践としての音楽」は、
『国家』の教育論の中で、
準備科目に位置づけられている。
ここでは、
魂を調和した状態に導く音楽という
ものがある、と書かれている。
歌詞が重要視され、歌詞に
ハルモニア、リズムが
ついたものが歌であった。
古代ギリシャのこの時代には、
歌詞は勇気や節制を示す必要があった。
そのため、
望ましいハルモニアと
排除すべきハルモニアが
言及されているのだ。
<望ましいハルモニア>
ドリア:勇気ある人の調子を模倣する。
☆ドリア旋法(第一旋法)
「レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド・レ」の楽曲
フリギア:節度ある人の調子を模倣する。
<排除すべきハルモニア>
ミクソリュディア、
シュントノリュディア:
悲しみや嘆きを表す。
☆ミクソリディア旋法(第七旋法)
「ソ・ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ・ソ」
イオニア、リュディア:
怠惰や柔弱さを表す。
☆リュディア旋法(第五旋法)
「ファ・ソ・ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ」
それぞれの旋法を用いた楽曲を、
聴いていただきたい。
ソクラテスが言わんとしていた、
ハルモニアに込められた意味が
感じ取れるのではないだろうか。
ムーシケーとは「神の言葉を伝えるもの」
最後に、
ソクラテスの音楽についての言及を、
もう一つ紹介する。
「哲学としての音楽」を
検討する際、
最も重要となるのは、
『パイドン』にみられる
ソクラテスの
音楽についての言及であろう。
『パイドン』の中で、
ソクラテスは、夢の中で
「ソクラテス、
ムゥサイの術をなし、
それを仕事とせよ
(makemusic and work at it)」
(Plato Phaedo, 60E
邦訳 松永)
という神の啓示を受ける。
ソクラテスは,
このお告げに関して、
はじめは知を求める営み
(哲学)こそは
最高のムゥサイの術であり
(phirosophywas the
greatestkind of music)、
わたしはげんに
それをなしているのだからと
思っていた。
しかし,死の直前にあって、
ソクラテスは
この夢がわたしに
つくることを命じているのは、
ムゥサイの術として
一般になじまれている方
(ordinarily called music)
かもしれないと思い直すのである
(Plato Phaedo, 61
邦訳 松永)。
そうして,ソクラテスは、
「アイソポスの物語を
詩のかたちになおしたり、
またアポロン神への
賛歌をおつくりになった」
(Plato Phaedo, 60CD
邦訳 松永)
のである。
冒頭のセリフに戻る。
死刑執行の直前、
ソクラテスは夢のなかで、
「ムゥサイの術をなし、
それを仕事とせよ」と告げられた。
はじめは、
哲学こそがムゥサイの術だと
思っていた。
しかし、
一般にムゥサイの術として
なじまれている、
詩や賛歌のことかもしれない。
そう思い直し、歌を創った。
そのことが書かれている。
ムゥサイ、すなわち
ムーシケー(音楽)とは、
古代ギリシャにおいて
「詩」・「音楽」・「舞踊」が
統合した形を指す言葉であった。
だが、ソクラテスにとって
「詩作」でもあり
「哲学」でもあったのだ。
その意味において、
ソクラテスが考えるムーシケーとは、
「神の言葉を伝えるもの」
(引用:
でもあったのではなかろうか。
三つの旋法の楽曲は、上に置いた。
勇気ある人の調子と、
悲しみや嘆きの調子と、
怠惰や柔弱さの調子。
どれが魂の内奥まで染み込んだかは、
聴いた人の耳に委ねたい。
更新の励みに、ランキングに参加しています。
よろしければ、クリック応援お願い致します!




コメント