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ヘンデルの「メサイヤ」ハレルヤコーラスと人間賛美の精神ー英語オラトリオの”詩と音楽”のハーモニー

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今日は、

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル

について探究してみたい。

 

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ヘンデルの多彩な才能と音楽ビジネス

 

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルは、

1685年ドイツのプロイセン領ザーレ河畔の

ハレに生まれた。

ヨハン・セバスティアン・バッハ

同じ1685年に

ドイツのアイゼナハに生まれたので、

二人は同い年であり、代表的なバロック時代の

音楽を創り上げた人物であることは、

皆さんご存知の通りであろう。

 

当時の音楽界では、

バッハよりヘンデルのほうが

有名だったようで、

ヘンデルの人となりは

「とにかく豪快で、

やり手のビジネスマンのよう」

だったそうだ。

 

ここで特筆しておきたい点は、

ヘンデルという人物は、

音楽家であると同時に作曲家であり、

プロデューサーであり、

音楽ビジネスを立ち上げた人である

ということだ。

 

バロックという時代に、自らのオラトリオで、

貴族の支援を受けずに

興行的に成功したという点で、

音楽興行ビジネスの先駆けであったと

言っても過言ではない。

 

ヘンデルは、大いなる使命のもと、

自らの人生を

音楽で彩った人生であったが、

変転浮沈の人生でもあった。

 

ヘンデルのイギリス移住と”詞と音楽”のハーモニー

 

ドイツに生まれ、

宮廷付きの音楽家としてオラトリオなど

たくさんの作曲を行ったが、

イギリスに移住して、

イタリア語でオラトリオを上演してから

大きな気づきがあった。

 

それは、詩の歌詞は聖なる意味が込められ、

その歌詞の波動は母国語であってこそ、

その観衆の心にしみわたるように伝わる

ということであった。

 

イギリスで英語で上演した

オラトリオについて、

以下のエピソードがあるので紹介したい。

翌日の『ロンドン・デイリー・ポスト』

には極めて長文の匿名の賛辞が

掲載された。

「(前略)・・・もしこの町でこの

作品が再び上演されるとしたなら、

すべての人々にこのドラマの台本を

携行することをお勧めしたい。

なぜなら、ハーモニーは確かに

それ自体で言いようもないほどに

優れたものではあるが、

それがどのような歌詞に

作曲されたかに注目してみると、

詩と音楽がより一層見事に

調和していることが分かるから

である・・・(中略)

・・・音楽を聴く際、それが

表現している歌詞を知らなければ、

作品を完全に楽しむことはできない

のである・・・(中略)

・・・歌詞が切り離されてしまうと、

ここでの音楽はまったく別のものと

なってしまう。

聴くことと読むことを同時に行えば、

心と体は一体となる。

そして、もし聴きに行く前に

少し時間をとって、

この宗教劇の台本に自ら目を通すなら、

演奏を聴いた時の喜びははるかに

大きいものとなるだろう。

この場合、劇場には、教会以上に

厳粛な気持ちで入るべきである。

これから出掛ける演奏会は誠に

それ自体がかつて神に捧げられた

崇拝と敬意のなかで

最も高尚なものだからである。

この演奏会に組み込まれた

祈祷劇は非常に崇高であり、

それを聴くためにしかるべく

準備された心と耳には、

地獄さえ神聖なものと化すほどである

―そこでなされる行為が場所を

神聖化するのであって、

場所が行為を

神聖化するのではない・・・

(後略)R・W」。

引用:三澤寿喜著『ヘンデル』P.125

ヘンデルの作曲において

大きな比重を占めていたのが

オラトリオであり、

曲だけでなく詩と合わせたハーモニーを

大事にしていたのだ。

 

イタリア語のオラトリオよりも、

英語によるオラトリオによって、

詩と音楽が見事なハーモニーとなって

観客に伝わること、

この発見によって更なる飛躍を遂げたのだ。

 

聖なる祈りの歌詞で歌われる

歌とヘンデルの音楽のハーモニーは、

その空間を神聖化し、信仰心を高め、

清める信仰行為でもあると考えられた。

 

その意味で、現代の音楽にも通じる

”歌詞と音楽のハーモニー”を創る

天才だったのだ。

 

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ヘンデルのオラトリオにみるイノベーション

 

ヘンデルのオラトリオについて、

イタリアオペラとの違いを

次のように書かれている。

一つはヘンデルの劇場作品における詩と

音楽の緊密な結合に気付き、それを高く

評価している点である。

ロンドンにおけるイタリア・オペラの

聴衆(多くは王侯貴族)は、たとえ

英訳台本を手にしていようとも、

詩と音楽の関わりに十分な注意を払った

とは到底思えない。

彼らは粗筋程度の理解で、ひたすら

イタリア人歌手の美声と名人芸を

楽しんでいた。

一方、ヘンデルの英語のオラトリオでは

演技がないことも幸いして、

その気になれば、台本を

深く理解しながら音楽を聴くことが

できるようになった。

ヘンデルのオラトリオを聴きに集まる

聴衆の多くは新たに台頭してきた

中産階級であり、知識階級であった。

彼らは詩と音楽の結びつきに知的に

関心を抱き始めていた。

演技のないことはオラトリオの

短所ではなく、むしろ利点と

なりつつあった。

引用:三澤寿喜著『ヘンデル』P.126

 

ヘンデルによる英語のオラトリオにおいては、

母国語での歌詞が非常に大事であったが、

演技なしで歌詞と音楽を

聴くという点において、

現代の声楽に近いものがあると思う。

 

いわば、イタリアオペラに集まる

王侯貴族の伝統的音楽の楽しみ方から、

斬新なイノベーションを取り入れた

英語オラトリオは、

新しい時代の主役となる中産階級、

知識階級に受け入れられ、

新しい音楽の楽しみ方としての

興行が成功した

といってもよい。

 

ヘンデルにみるプロデューサー的才能

 

そしてヘンデルは、

歌手を育成する能力にも長けていた。

ヘンデルは声楽曲の作曲家であり、

全作品のおよそ9割が声楽曲で

占められている。

ヘンデル自身は声楽家ではなかったが、

声楽話法を弁えた作曲家であり、

未熟な歌手をトレーニングし、

プリマに育成してもいる。

彼は歌手本人以上に彼らの特性を把握し、

彼らに最適なアリアを書くことができた。

引用:三澤寿喜著『ヘンデル』P.192

 

もう一つ、特筆すべき点として、

ヘンデルはプリマといわれる

歌手を育成することで、

自らのオラトリオの成功を勝ち得た

ということである。

 

イタリアよりプリマと言われる

歌手を連れてきていたが、

有名な歌手よりも、自らの作品に適した

歌手を育てたということである。

 

歌手の特性を把握し、

歌手に適した音楽を書き、

そして訓練して興行して成功させる、

現代でいう音楽プロダクション社長兼

トータルのプロデューサー、

そして音楽監督であった。

 

この点、他のクラシック音楽の作曲家と

違いがあるとすれば、

ビジネス的才能に恵まれたことであろう。

屋根裏部屋で隠れて音楽の勉強をしていた

男の子は、みずからの力で世界を

切り拓いていきました。

音楽的才能だけではなく、外交術にも長け、

しっかりその土地のキーマンの心を掴み、

彼らの喜ぶ音楽を見事につくりました。

株の売買でお金を生み演奏会を

回していくなど、

ヘンデルは今で言うプロデューサーです。

引用:松田亜有子著『クラシック音楽全史』P.58-59 

 

ヘンデルの「メサイヤ」ハレルヤコーラスと人間賛美の精神

 

そしてまた、ヘンデルは

歌詞の内容にもこだわった。

 

ヘンデルが取り上げたテーマは

旧約聖書からの内容が多かったが、

そこで伝えたかったものは、

人間存在の尊さ、素晴らしさであった。

 

キリスト教的価値観では、

まず懺悔や悔い改めという

テーマが出てくるのだが、

ヘンデルはよりダイナミックな人間存在の

潜在的パワーを信じていたのだ。

ヘンデルの声楽曲の大半を占めているのは

オペラやオラトリオといった大規模な

劇場娯楽作品である。

世俗的な題材によるオペラは

もちろんのこと、宗教的題材による

オラトリオのほとんどにおいてさえ、

ヘンデルはそこに展開される生身の

人間ドラマを描くことに

主眼を置いていた。その根幹を成すのは

深く鋭い台本解釈であり、

人間存在に対する優れた洞察力である。

(中略)

ヘンデルの人間的魅力でもある温かい

人間愛は敬虔なプロテスタント

ルター派)であった母親や、

ハレ大学の先輩ブロッケスの影響

であったかもしれない。

ブロッケスの啓蒙府議的汎神論は

九つのドイツ・アリアの歌詞や、

《ブロッケス受難曲》の台本にも

明らかである。

その現世肯定主義はヘンデルの

人間賛美の精神に繋がっているように思える。

そして、この強烈な人間賛美の精神こそ

ヘンデルの舞台作品が発信し続ける

不変のメッセージなのであろう。

深い人間愛をもとに、音楽を通じて

「人間存在」を問い続けた作曲家、

それがヘンデルなのである。

引用:三澤寿喜著『ヘンデル』P.193-194

 

このように、ヘンデルは

「人間存在」というものを深く見つめ、

そのうえで人生をどのように謳歌するか、

人間の素晴らしさ、尊さを

どのように発揮して生きていくかを

追求した人物であった。

 

各人が授かった才能を活かして、

神の御心を信じ、

どのようにこの世で成功していくか、

光を掲げて生きていくか

ということを常に考えていたのである。

 

最後に、ヘンデルの代表作と言われる

『メサイヤ』について紹介したい。

ヘンデルの代表作といわれる『メサイア』

(1741年)は、オラトリオの中でも

最高峰として知られ、ヘンデルの

生前から現在に至るまで高い人気を

誇っています。

「メサイア」とはメシア(Messiah/救世主)

の英語読みです。

「ハレルヤ」とはヘブライ語で

「神をほめたたえよ」という意味で、

有名な「ハレルヤコーラス」は、

メシアの受難と復活を表す第二部の

最後の曲です。

現在も世界中でクリスマスになると

演奏・合唱されます。

オラトリオはイタリア語になじめなかった

中産階級からも広範な人気を

得られたため、当時から

高い人気を誇りました。

ヘンデルが抱えたビジネス上の負債も、

この曲の収益のおかげで

帳消しになったといわれています。

引用:松田亜有子著『クラシック名曲全史』P.50

 

この『メサイヤ』という曲は、

英語版オラトリオとして、

宗教的なテーマで作曲した中でも

非常に稀有なる曲である。

 

メシアの受難と復活というテーマは、

キリスト教を貫くテーマであり、

作曲家の人生の中で音楽を創るうえで、

量と質を問うとするならば、

ヘンデルの人生のなかで最高峰の質と

宗教的悟りを表現したのが

この『メサイヤ』という曲であろう。

 

ヘンデルは、この曲の着想が

天から降りてきたとき、

この神の恵みと奇跡に

胸が打ち震えるほど感謝し、

“何かに取り憑かれたかのように”

一気に曲を完成させ、

途中、涙を流しながら筆を進める姿を

召使いが目撃したという逸話が残っている。

 

ヘンデルの宗教的人生と

音楽の悟りが呼応して、

天上界から神の恵みとして与えられたであろう

『メサイヤ』ハレルヤコーラスの

ハーモニーを聴いていただきたい。

 

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ありおん

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