西洋音楽史の作曲家16人を時代順に|中世の聖女からマーラーまで

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大聖堂のパイプオルガンを前に楽譜を手にする人物の後ろ姿と「西洋音楽史の作曲家16人」の文字

バッハとマーラーは、

なぜこれほど違って聞こえるのか。

どちらも「クラシック」と

ひとまとめに呼ばれる。

だが、二人の間には

二百年近い時間が横たわっている。

 

その長い時間の中で、

音楽は誰のために鳴り、

何を語ろうとしてきたのか。

この記事は、

当サイトで書いてきた作曲家16人を

生まれた順に並べた地図である。

 

一人ずつ読めば点にすぎないが、

並べると線が見えてくる。

神に捧げた音楽が、

王の宮廷を経て、

やがて一人の人間の心を歌い出す。

その流れを、

いっしょにたどってみたい。

目次
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中世から宗教改革へ|神に捧げる歌

中世のヨーロッパで、

音楽はまず祈りの形だった。

修道院で歌われる聖歌は、

作者の名よりも

神へ届くことが大切にされた。

その時代に、

名前を残した人がいる。

ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(1098–1179)

ドイツの修道院長であり、

幻視を記した神秘家でもある。

彼女は自ら聖歌を作り、

歌うことは神を讃える行いだと

説いた。

中世で作品と名前が

ともに伝わる作曲家は少ない。

その意味でも、

音楽史の入口に立つ人と言える。

 

最初に聴くなら、

音楽劇「オルド・ヴィルトゥトゥム」。

美徳たちが魂を導く物語を、

修道女たちのために書いた作品である。

 

▶ ヒルデガルトの記事を読む

マルティン・ルター(1483–1546)

宗教改革を起こした神学者が、

なぜ讃美歌を作ったのか。

ルターは、

ラテン語の聖歌を聴くだけでなく、

会衆が自分の言葉で

歌えることを望んだ。

「神はわがやぐら」は、

その願いから生まれた一曲だ。

祈りの歌が、

聖職者から民衆の手に渡った。

 

この旋律は、のちの時代にも生きた。

二百年後のバッハが、

同じ旋律でカンタータを書いている。

民衆の歌が、

巨匠の作品の土台になったのだ。

 

▶ ルターの記事を読む

バロック|教会と宮廷の音楽

17世紀から18世紀半ば。

絶対王政の時代である。

作曲家は教会か宮廷に仕え、

注文に応えて曲を書いた。

同じ1685年に、

ドイツで二人の巨匠が生まれる。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685–1750)

音楽家の家系に生まれ、

生涯のほとんどを

ドイツの教会と宮廷で過ごした。

平均律クラヴィーア曲集、

そしてフーガの技法。

音楽で神の創った世界を

表そうとした人である。

日本で「音楽の父」と呼ばれる理由は、

その功績の大きさにある。

 

最初に聴くなら、

「マタイ受難曲」を挙げたい。

ただしこの大曲は、

死後しばらく忘れられていた。

よみがえらせた人物は、

このあと前期ロマン派の章に登場する。

 

▶ バッハの記事を読む

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685–1759)

バッハと同じ年に生まれながら、

歩んだ道はまるで違う。

ヘンデルはイギリスへ渡り、

オペラで聴衆を集め、

やがて英語のオラトリオへ進んだ。

「メサイヤ」の

ハレルヤコーラスは今も歌われる。

一つの土地で祈り続けたバッハと、

海を渡って聴衆をつかんだヘンデル。

二人を並べると、

バロックの幅が見えてくる。

 

最初に聴くなら、

やはり「メサイヤ」だろう。

聖書の言葉を英語で歌うこの作品は、

劇場に集まる市民のための

祈りの音楽でもあった。

 

▶ ヘンデルの記事を読む

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古典派|形式の完成と、ウィーンの三人

18世紀後半、

音楽の中心はウィーンへ移る。

交響曲やソナタという形が整い、

誰が聴いても分かる

明快さが求められた。

この時代の三人は、

師弟や友人として深く結びついている。

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732–1809)

貴族エステルハージ家に

長く仕えた宮廷楽長である。

楽団員から慕われ、

「パパ・ハイドン」と呼ばれた。

交響曲の形を固めた人であり、

年下のモーツァルトと友情を結び、

若きベートーヴェンを教えた。

教育者としての顔も持っている。

 

入口の一曲は、

交響曲第94番「驚愕」。

静かな楽章の途中で

突然大きな音が鳴る仕掛けがある。

聴き手を楽しませようとする

人柄が、そのまま音に出ている。

 

▶ ハイドンの記事を読む

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756–1791)

ザルツブルクに生まれた神童。

少年の日に、

門外不出とされた「ミゼレーレ」を

聴いて書き取ったという逸話が残る。

軽やかな曲の陰で、

彼は早くから死を見つめていた。

未完の「レクイエム」は、

35年の生涯の最後に書かれた。

 

最初に聴くなら、

交響曲第40番か「レクイエム」。

明るさだけでは語れない

モーツァルトの陰影が、

この二曲によく表れている。

 

▶ モーツァルトの記事を読む

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770–1827)

ボンに生まれ、

ウィーンでハイドンに学んだ。

作曲家として名を上げたころ、

耳が聞こえなくなっていく。

交響曲第5番「運命」には、

その闘いと時代の熱が刻まれている。

古典派の形を受け継ぎながら、

音楽に一人の意志を

込めた。

次の時代への扉は、

ここで開いたと言ってよい。

 

最初に聴くなら、

もちろん交響曲第5番「運命」。

暗い短調で始まった曲が、

最後は輝かしい長調にたどり着く。

苦しみから光へ。

この筋書きは、

後の作曲家たちの手本になった。

 

▶ ベートーヴェンの記事を読む

前期ロマン派|一人の心を歌う

19世紀に入ると、

作曲家は宮廷を離れていく。

聴き手は市民になり、

音楽は個人の感情を語り始めた。

歌曲、ピアノ曲、評論。

小さな形に、深い心が宿る時代だ。

フランツ・シューベルト(1797–1828)

ウィーンに生まれ、

600曲を超える歌曲を残した。

「歌曲の王」と呼ばれる理由である。

父の学校で教えながら

「魔王」を書いたのは、まだ10代のころ。

ベートーヴェンを敬い、

その死の翌年に31歳で世を去った。

 

聴き比べてほしいのは、

「魔王」と「アヴェ・マリア」。

同じ作曲家とは思えないほど、

二曲の表情は違う。

詩の心を音にする力が、

そこにはっきり聴こえる。

 

▶ シューベルトの記事を読む

フェリックス・メンデルスゾーン(1809–1847)

裕福な家に育ち、

多くの分野に才能を見せた。

20歳のとき、

忘れられかけていた

バッハの「マタイ受難曲」を

ベルリンで復活上演する。

過去の音楽を掘り起こし、

次の世代に手渡した。

 

最初に聴くなら、

交響曲第5番「宗教改革」。

終楽章には、

ルターの「神はわがやぐら」が

堂々と鳴り響く。

ルター、バッハ、メンデルスゾーン。

三百年をまたぐ一本の線である。

 

▶ メンデルスゾーンの記事を読む

フレデリック・ショパン(1810–1849)

ポーランドに生まれ、

20歳で祖国を離れてパリに住んだ。

ノクターンやマズルカには、

故郷の民謡の響きが残っている。

作品のほとんどがピアノ曲。

一つの楽器に、

生涯をかけた詩人だった。

 

一曲だけ選ぶなら、

ノクターン第2番。

ゆったりと歌う旋律に、

飾りの音がそっと重なっていく。

ピアノが歌う楽器だと、

教えてくれる一曲だ。

 

▶ ショパンの記事を読む

ロベルト・シューマン(1810–1856)

ショパンと同じ年に生まれた。

作曲だけでなく、

音楽雑誌を創刊して評論も書いた。

師の娘クララとの結婚は、

裁判を経てようやく叶う。

その年に生まれたのが

歌曲集「詩人の恋」である。

のちに、若いブラームスを

世に紹介したのも彼だった。

 

聴くなら、やはり

歌曲集「詩人の恋」。

ハイネの詩による16の歌に、

恋の喜びと痛みが映っている。

歌い終わったあとの

ピアノの長い後奏にも耳を澄ませたい。

 

▶ シューマンの記事を読む

後期ロマン派|巨大化と、それぞれの理想

19世紀後半、

音楽はどんどん大きくなる。

長い交響曲、巨大な楽劇。

一方で、

古い形に新しい心を込める人もいた。

同じ時代に、

理想は大きく二つに分かれていく。

リヒャルト・ワーグナー(1813–1883)

音楽、詩、演劇、舞台。

すべてを一つにまとめる

「総合芸術」を掲げた。

自作だけを上演する劇場まで

バイロイトに建てている。

「タンホイザー」から

「パルジファル」まで、

オペラを「楽劇」へ変えていった。

 

最初に聴くなら、

「タンホイザー」序曲。

巡礼の合唱の旋律から始まり、

十数分の中に

楽劇の世界が凝縮されている。

 

▶ ワーグナーの記事を読む

アントン・ブルックナー(1824–1896)

オーストリアの教会オルガニスト。

教員として働きながら、

40歳近くまで理論を学び続けた。

ワーグナーを深く敬ったため、

批評家から厳しく叩かれもした。

交響曲を何度も書き直したのは、

完璧を求めずにいられない

性分ゆえだろう。

 

入口には、

交響曲第4番「ロマンティック」。

かすかな弦の響きの中から、

ホルンが遠くで呼びかける。

大聖堂のような音の建築が、

そこから立ち上がっていく。

 

▶ ブルックナーの記事を読む

ヨハネス・ブラームス(1833–1897)

20歳のころ、

シューマンの論文で

未来の巨匠として紹介された。

ワーグナーが新しい形を作ったのに対し、

ブラームスは

古典の形に新しい心を込めた。

同じ時代の二つの理想は、

支持者を二つに分けた。

 

最初に聴くなら、

ヴァイオリン協奏曲。

独奏が華やかに目立つより、

オーケストラと語り合う。

古典の形を重んじた

ブラームスらしさがそこにある。

 

▶ ブラームスの記事を読む

ピョートル・チャイコフスキー(1840–1893)

ロシアの官庁に勤めたあと、

音楽の道へ進んだ。

支援者メック夫人との文通、

短く終わった結婚。

最後の交響曲「悲愴」は、

初演の9日後に彼が亡くなったことで、

特別な意味を帯びた。

祖国への愛と悲しみが、

その旋律に溶けている。

 

最初に聴くなら、

交響曲第6番「悲愴」。

交響曲は速く華やかに終わるのが

それまでの常だった。

この曲は、

静かに消えるように終わる。

 

▶ チャイコフスキーの記事を読む

グスタフ・マーラー(1860–1911)

ボヘミアに生まれ、

ウィーンの宮廷歌劇場で

指揮者として頂点に立った。

交響曲第5番のアダージェットは、

妻アルマへの愛の歌とされる。

「亡き子をしのぶ歌」を書いたあと、

長女を亡くした。

人生が芸術を追いかけるような

生涯だった。

 

入口に選びたいのは、

やはりそのアダージェット。

弦楽器とハープだけで奏でられる

10分ほどの楽章だ。

ここから、

マーラーの長い交響曲へ入ってほしい。

 

▶ マーラーの記事を読む

まとめ|16人を一本の線で

ヒルデガルトの聖歌から、

マーラーの交響曲まで。

音楽は神に捧げられ、

王の宮廷で磨かれ、

やがて一人の心を語るものになった。

冒頭の問いに戻れば、

バッハとマーラーの違いは、

音楽が誰のために鳴るかの

違いでもある。

 

このブログは、音楽史の中から

作曲家の人物像や作曲にかける

念いや思想を抽出し、

現代に再び音楽の高みを作りたい

という主旨で探究したものである。

 

どこから読んでもかまわない。

まず気になる一人を選び、

その人の記事を開いてみてほしい。

前後の作曲家とのつながりが、

きっと見えてくるはずだ。

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この記事を書いた人

著者: 有田 知揮(ありおん)
文化探究と西洋音楽史への愛から「文化の創りかた」を運営。
本業では Aoide Production として、小規模事業者向けの Web 制作・保守も手がけています。
「むずかしいを、わかりやすく」をモットーに。
→ aoide-production.jp

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