今日は、作品に込められた霊的波動について
考えてみたいと思います。
作品に込められた霊的波動
『人間の目には同じように見え、たとえば同じ形の机をつくっているように見えても、それをつくった人の人生観なり哲学なりの霊的波動は、一つ一つの机のなかにこもっていて、神の目から見ると違うのです。これは、芸術家の創った彫刻などでも同じなのです。あるいは、芸術家のデザインした建物などでも同じです。「何かはわからない霊的なものが、そこにある」ということです。そして、「高きから低きに流れる」という、その水準は確固としてあるのです。』(大川隆法著『ピカソ霊示集』より抜粋)
人間の目には同じように見えても、
そこに込められた霊的波動によって、
神の目から見ると違って見える、
とはどういうことでしょうか?
人間は精神的な存在です。
同じような形をした机一つをとってみても、
それをつくった家具職人が
どういう念いを込めて創ったかによって、
神の目からみたら価値が違うということです。
そうであるならば、
その製品、作品に込められた霊的波動によって、
使う人に影響を与え、
良き念いが込められたものは良き影響を与え、
欲念や悪しき念いが込められたものは
使う人に悪い影響を与えてしまう
のではないでしょうか。
作品に良き念いを込める
たとえば、
100円均一で買った機械で作った
大量生産のコップと、
職人の方が精魂とまごころを込めて作った
陶器のコップは、
もしかしたらそのコップに込められた
愛の念いや波動が、
使う人の感情にも
影響を与えているかもしれません。
また、音楽であればもう少し
分かりやすいかもしれませんが、
アーティストがどんな念いや感情を
曲に込めているかによって、
伝わってくる波動が違いますし、
受ける影響も違ってくると思います。
現代の唯物論的価値観から見れば、
一つの製品や物は目に見える性能や形で
価値が決まることが普通です。
しかし、霊的価値観から見たならば、
どのような念いが込められているか、
どのような霊的波動を持っているかということが、
その作品や製品の価値を決めるという考え方も
あるのではないでしょうか?
だからこそ、アーティストは、
作品に込める念いや波動に
妥協してはならないと思いますし、
霊的価値観に基づく文化における作品の価値は、
”どのような霊的波動を持っているか”
ということが一つの基準になるのではないか
と感じます。
※本記事は、2013年2月3日に旧サイトに投稿した内容を修正・加筆したものです。
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