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AI社会・デジタルネイチャーと信仰の未来ー「モチベーション」と「アート的な衝動」の格差について

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今日は、落合陽一氏の『デジタルネイチャー』

第1章から、未来社会について考えてみたいと思う。

はじめに私のスタンスについて述べておくと、

落合陽一氏はある種の天才であり日本の

未来社会のビジョンを示しているという点で

凄い方だと思うが、あの世を信じ、

神を信じる信仰者の私としては、

人間機械論的な考え方については

ある種の危機感を抱かざるを得ない。

神や心の存在を信じる人と、

感情は頭脳の作用とする人との考え方の差には

大きな隔たりがあることは事実である。

しかしながら、新時代の潮流という方向について、

大きな時代の流れになるであろう

AI社会とデジタルネイチャーの未来を、

信仰者の立場から探究しようと試みるものである。

『デジタルネイチャー』という書籍については、

理系出身の私でもなかなか難解で

読み解くのが難しい印象だったが、

その中でも個人的に大いに感銘を受けた

箇所があったので紹介したい。

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AI社会・デジタルネイチャーの未来

落合陽一氏は、『デジタルネイチャー』のなかで

次のように書いている。

我々の社会が抱えている最大の格差―

それは経済資本の格差ではなく

「モチベーション」と、そして

その根底をなす「アート的な衝動」を

持ちうるかの格差である。

現行人類のコンピューターに対して

優れている点は、リスクを取るほどに、

モチベーションが上がるところだ。

これは機械にはない人間だけの能力である。

逆にリスクに怯え、チャレンジできない

人間は機械と差別化できずに、

やがてベーシックインカムの世界、

ひいては、統計的再帰プロセスの世界に

飲み込まれるだろう。

引用:『デジタルネイチャー』P.66

AIが人間の仕事を代替していく社会では、

AI+VC型(ベンチャーキャピタル)と

AI+BI型(ベーシックインカム)に

二極化するといわれる。

機械を利用して新しいイノベーションを

興そうとするAI+VC型と、

機械の指示のもと働き、簡単かつ

少時間の労働を営みながら

ベーシックインカムを受給する

AI+BI型に分かれていく。

デジタルネイチャーとは、近代以前の多様性が、

近代以降の効率性や合理性を保ったまま、

コンピューターの支援によって実現される世界。

テクノロジーの進化によって、低コストで個人化

(パーソナライズ)が様々なものに適応される世界。

これは、言い換えれば近代のマスで提供された製品や

ソフトなどが、テクノロジーによって

意識することなく限りなくパーソナライズされて

多様な在り方として存在する世界ということであろう。

このデジタルネイチャー社会の最大の格差

経済資本の格差ではなく、

「モチベーション」と「アート的な衝動」の格差

と説かれている。

「アート的な衝動」とは、個々人の文脈において、

それをせずにはいられない欲求・衝動を指すという。

AIのディープラーニング(機械学習)は

統計学的であるので、

最適化してリスクを避けようとする判断をし、

過去の事例にない新しいことを生み出したり、

チャレンジすることが苦手だ。

それに対し、人類がコンピューターに対して

優れている点は、

リスクを取るほどにモチベーションが上がるところ

だと書かれている。

逆にリスクに怯え、チャレンジできない人間は

機械と差別化できずに

AI+BI型(ベーシックインカム)として生きる

人間になってしまうということなのだ。

これはそもそも教育の問題かもしれないが、

企業家精神やクリエイティブなチャレンジができる

人間をどれだけ育てることができるか、

ということでもあると思う。

現行の教育システムのなかでは高学歴の秀才ほど

リスクを取りたがらず、

前例主義の安定志向である傾向があるため、

AI社会においては学歴のヒエラルキーが逆転する

可能性があるのだ。

逆に、学校教育において秀才と認められなくとも、

創造性やチャレンジ精神を身に付けた若者が、

クリエイティブクラスの仕事を

生み出して行く可能性を持っている。

これは、私をはじめ教育現場に携わる者にとっては

イノベーションを迫られる危機ではないだろうか。

デジタルネイチャー社会のモチベーションの一つは”信仰”

落合陽一氏は、加えて次のように書いている。

問題は、やりたいこととその衝動の

獲得方法があるかどうか。

リスクを顧みないほど何かに

熱中している人間や、

社会や技術の新しい芽を

育てたいという人間の数は、

実はごくわずかしかいない。

多くの人は知識を吸収しても、必ずしも

衝動を生み出すような独自の視座を

創り得ないからだ。

引用:『デジタルネイチャー』P.67

ここでは、リスクを顧みないほど熱中している

人間はごく少数で、

多くの人は知識を吸収しても、衝動を生み出す

独自の視座を創り得ないと説かれている。

そういったアート的で衝動となるほど

強いモチベーションを生むコンテクスト

は文化から生まれる。

そして、文化資本の再分配には、

資本以上に巨大な格差が存在する。

<中略>

今後は、文化の格差から生まれる

アート的なモチベーションの格差を、

いかに埋めていくかが

キーワードになるはずだ。

今後、機械と人間の融合が進むと、

機械学習では最適化できない

イノベーションの種は、そのような

衝動を持つ人間側に

求められるようになる。

引用:『デジタルネイチャー』P.67-68

アート的で衝動となるほど強いモチベーションは、

文化から生まれる。

そして、機械学習では最適化できない

イノベーションの種は、

そのような強い衝動を持つ人間側に

求められるということなのだ。

ここにおいて私は、AI社会におけるリーダーシップを

持つ可能性があるものの一つには、

”信仰”があると感じる。

なぜなら、利益至上主義でなくなったAI社会において、

アート的で強い衝動を持ち得る人間とは、

”信仰”を持つ人間も当てはまるのではないだろうか。

人間機械論的世界観と、信仰における霊的世界観と

は大きな価値観の相違があるが、

そこをうまく整合性をとって

社会システムを構築できるなら、

信仰を持つ人間ほど抽象的思考を持ち、これまで

地球上に前例のない理想社会(天上界のイデア)

をこの地上に降ろし、ユートピア社会を作ろうとする

理想家肌の人間も他にいないだろう。

これからの人類がやるべきことは、

「可能かもしれない想像上の産物」

に対して、「さまざまな質問を

問いかける」ために具体化して

「それに集中する」こと。

まだ実現していない未来にコミット

することは大きなリスクだが、

これが最も重要な価値である。

引用:『デジタルネイチャー』P.69

これからの人類がやるべきことは、

リスクを取って「可能かもしれない想像上の産物」

を具体化していくこと。

すなわち、デジタルネイチャーの社会にあって、

人間機械論に陥らず、

人間の尊厳や霊的世界の真実を知り、

霊的世界観に基づいて人間の幸福に寄与する

未来社会を構築すること。

そしてこれができるのは

神を信じる人間であろうと思う。

ぜひテクノロジーを嫌わず、

科学の利便性を活用しながら、

神の作られた世界を探究し続ける人材が

数多く出てくることを期待したい。

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ありおん

Aoide Production代表。”文化の創りかた”ブログ管理人。 Vyond、Premiere proで動画制作|HP制作|楽曲制作|ブログ|新しい文化をカタチに!仕事依頼はAoideProductionホームページをご覧ください。

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