美の検索結果 42 件

音楽論

”音楽は魂の表現されたものにも機械的な表現にもなる”の意味ー心に美と調和を取り戻す橋渡しの力

今日は、機械的音楽と魂の音楽の差について探究してみたい。 演奏する人によって感動が違う理由   音楽においては、作曲家が曲を創り、 演奏家がその曲を演奏する時代が長かったが、 20世紀以降は自分で作って自分で曲を演奏する時代となり、 ロックやポップスや様々なジャンルの音楽が流行り、 現在はDAWで曲を創りボカロに歌わせるようなこともできるようになった。 様々な楽しみ方がされているが、 一方で、より機械的な音楽、音が広まっていることも否めない。   しかしながら、音楽を聴く人ならみんなわ ...

作曲家

ヘンデルの「メサイヤ」ハレルヤコーラスと人間賛美の精神ー英語オラトリオの”詩と音楽”のハーモニー

今日は、 ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル について探究してみたい。   ヘンデルの多彩な才能と音楽ビジネス   ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルは、 1685年ドイツのプロイセン領ザーレ河畔の ハレに生まれた。 ヨハン・セバスティアン・バッハが 同じ1685年に ドイツのアイゼナハに生まれたので、 二人は同い年であり、代表的なバロック時代の 音楽を創り上げた人物であることは、 皆さんご存知の通りであろう。   当時の音楽界では、 バッハよりヘンデルのほうが 有名だったようで ...

作曲家

シューマンの生涯と詩人の恋「美しい五月に」ークララとのロマンスと結婚への苦難

今日は、シューマンについて探究してみたい。   ローベルト・シューマンは ベートーヴェン亡き後、 19世紀の音楽文化を推し進めるために 尽力した音楽家である。 新しい詩的音楽の時代を理念に掲げ、 作曲活動、そして評論活動を 通して音楽のなかにある真理を探究し、 音楽を単なる楽しみや娯楽でなく 芸術理念のもとに創作した 先駆者のひとりであると言ってよい。   シューマンの生涯(前半生)   1810年6月8日、 プロイセン王国のツヴィッカウで 父アウグスト・シューマンと 母ヨハ ...

作曲家

ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの音楽と天啓ー讃美歌の合唱は心の浄化をもたらす

今日は、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの 音楽について探究してみたい。   ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの天啓の音楽   西洋音楽史を真・善・美の視点で探究していく なかで、ギリシャ音楽の隆盛の後、 注目すべきは初期キリスト教の聖歌統一を 掲げたグレコリウス1世(在590~604) にちなんで名づけられた 「グレコリオ聖歌」が有名であるが、 その「グレコリオ聖歌」の普及に 力を尽くしたのがフランク王国のカール大帝 (シャルルマーニュ国王)と言われている。   文化の異なる広 ...

作曲家

マルティン・ルターはなぜ讃美歌を作ったのかールターの思想と音楽

今日は、マルティン・ルターがなぜ讃美歌を 作曲したのかについて探究してみたい。   マルティン・ルターの番人司祭主義(思想)   まず最初にこちらの動画をご覧いただきたい。 https://youtu.be/eY8rQTpCvWg   マルティン・ルターは 言わずと知れた宗教改革者であり、 プロテスタントの創始者であり、 「聖書主義」「万人司祭主義」を 唱えた方として有名である。   当時のカトリック教会の免罪符を用いた 資金集めの方法に疑念を持ち、 「95か条の論 ...

芸術論

芸術文化の理念についてー「真・善・美」に関わり普遍なるものの影を宿しているか

今日は、芸術文化の理念について 探究してみたいと思います。   2017年11月末に、大川隆法総裁より 「芸能と仏法真理」という ご法話が説かれました。 (『仏法真理が拓く芸能新時代』第一章所収) これは、真・善・美に基づく 「芸能・文化事業」の基本的理念が 説かれたという意味で、 新しい芸術文化の経営理念にも相当する 本当に重要な御法話です。   これから創っていく 新しい芸術文化の源流にあたる 基本的理念、経営理念として、 この考えを基にした芸術文化が 今後花開いていくのだと思うと ...

芸術論

新時代の芸術家の仕事についてーこの世のなかにある霊的な美を見出し描き出す

今日は、新時代の芸術家の仕事について 探究してみたいと思います。   美への絶対的確信があるか 『「一目見て心打つ」というのは 大事なことなんですよ。 じっくり見れば立派に見えてくる というのもあるけれども、 「一目見て心を打つ」という絵は、 やはり、魂の奥底から出てくるものだ。 この大胆さは美の確信だな。 美への確信、 揺るぎない自信がなければ、 大胆なこの画想といいますか、 そうしたものが湧かんのですよ。 その美への確信がない人が絵を描くと、 てきとうなところでごまかす。 妥協する。 人々に ...

芸術論

新時代に求められる芸術の方向性についてー真・善・美の価値観に基づいた霊的世界観を表現する

今日は、新時代に求められる 芸術の方向性について 探究してみたいと思います。   新時代は総合的な霊文化の時代になる   ピカソ霊示集によれば、 「新時代は総合的な霊文化の時代になる」 と説かれています。 また、その一端を担うものとしての芸術、 絵画や詩や文学などが重要であり、 その方向性は 「人間の心にプラスする、 この方向性がなければ、 もはや芸術としての存在基盤がありえない」 時代となる、 言い換えれば なんらかの悟りのよすががなければ 芸術として成り立たない時代となる というこ ...

作曲家

チャイコフスキーの『悲愴』交響曲第6番第4楽章にみる人生の苦悩と悲哀

今日は、チャイコフスキーの生涯を紐解いて、どんな人生を送り、その生涯からなぜ彼の音楽のような美しい、そして悲しい音楽が生まれたのかを探究してみたい。 チャイコフスキーの生い立ちから青年期まで 1840年5月7日、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーはロシアのウラル地方ヴィトキンスクで次男として生まれた。 父は鉱山技師で工場長のイリヤ・ペトローヴィチ・チャイコフスキー、母はアレクサンドリアといい、18歳年下のイリヤの二人目の妻であった。 母は鋭い感受性の持ち主であり、その感受性はピョートルにも受け継がれた ...

作曲家

ブルックナー【交響曲第4番ロマンティック】にみる飽くなき探究心と完璧主義

2024年は、アントン・ブルックナー 生誕200年の記念すべき年である。 今回は、交響曲と宗教音楽の 大家として知られるブルックナーの 生涯について触れてみよう。 ブルックナーの少年期とカッティンガーとの出会い 1824年9月4日、リンツ近郊の村アンスフェルデンに生まれた。 父は同名のアントン・ブルックナーで 小学校の教師、オルガニストであった。 母は地主の娘テレジアで、11人兄弟の長男として 生まれたが、そのうち6人は夭折し、 幼心に死というものを深く心に刻んだのである。 「トーネル」と呼ばれたブルック ...

音楽制作

坂本龍一の「音」作りにみるインスピレーションを受けるヒントー情報遮断して心の態勢を整える

今日は、音楽制作において 1%のインスピレーションを得る方法について 探究してみたいと思います。   坂本龍一の「音」作りにみる作曲のヒント   「WIRED」の過去記事に音楽家・坂本龍一の記事が 載っていたので読んでみました。   坂本龍一は皆様ご存知の通り、 YMOで音楽活動を続ける傍ら、 映画「戦場のメリークリスマス」の出演、 映画音楽で大ヒット、 映画「ラストエンペラー」では アカデミー賞作曲賞などを受賞した音楽家で、 現在も幅広く活躍されており、 どのように曲を創っ ...

音楽論

言霊の力を宿し心に響く歌とはー歌い手はどんなことを念って歌っているか

今日は、念いが伝わってくる歌について 探究したいと思います。   心に響く歌とは 私たちが普段何気なく聴いている音楽のなかでも、 よく考えてみたら、 音楽が心地よくて聴いているもの、 歌詞がすごく共感できるから好きな曲、 なんだか祈りや念いが歌に乗って 伝わってくるなと感じる曲 など、みなさんそれぞれ思い当たる曲が あるのではないでしょうか。   私がものすごい念いが歌に乗っているなと感じたのは、 HYの366日という曲でした。 https://youtu.be/A3BnTZmd6hE ...

作曲家

モーツァルトのレクイエムと魔笛ー楽曲に込められた死生観とフリーメイソン

今日は、モーツァルトの死生観と フリーメイソンについて探究してみたい。   神童モーツァルトと門外不出の名曲”ミゼレーレ”   言わずと知れた大作曲家、 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト は、1756年1月27日、 ザルツブルクで生を受けた。 当時は兄弟のなかで 幼少時に亡くなった者のほうが多く、 生き残ったのは姉のナンネルと モーツァルトの2人のみだった。   父親のレオポルトも音楽家であったが、 小さなモーツァルトの 音楽の才能を見抜くと、 とても驚き、そして喜び ...

ワーグナー

作曲家

ワーグナーの掲げた「総合芸術論」と楽劇(オペラ)の理想ー世界を救う「革命」

今日はリヒャルト・ワーグナーの 総合芸術論について探究してみたい。   ワーグナーといえば 19世紀ロマン派オペラの頂点であり、 英雄的なゲルマン神話をモチーフにした楽曲の 壮大さに聴き惚れる方も多いだろう。 ワーグナーの人生も壮絶な人生であり、 自身のオペラを自分の 想定通りに演奏するために、 当時の王の支援を得て バイロイト祝祭のオペラ劇場を 建設してしまったり、 オペラの台本もすべて ワーグナー自身が書いていた ということからも音楽に限定しない 才能が伺える。   また、2度の結 ...

音楽論

古代ギリシャの神話と政治・文化<時代背景>ー古代ギリシャ人にとっての音楽とは

今日は、古代ギリシャの時代背景について 探究してみたいと思う。 このシリーズで探究したいことは、 光の天使としての音楽家の生涯、 創作物としての楽曲、 そしてその音楽がもたらした影響力である。 その意味では、音楽というものを語るうえで、 その音楽の楽曲のみを聴いて語ることは、 その音楽を味わうための半分ほどしか 本当は味わっていないのではないだろうか、 という思いが湧き上がってくる。 例えば、アメリカの戦後、 ベトナム戦争が行われていた時期だからこそ ヒッピーカルチャーや反戦ソングが生まれたように、 音楽 ...

作曲家

音楽の父バッハの凄さとフーガの技法<天球の音楽>ー平均律がもたらしたイノベーション

今日は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの凄さと フーガについて探究してみたい。 バッハの凄さ①平均律の普及に貢献   ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685年 - 1750年)は、 バロック時代と言われる 絶対王政時代の時代に生まれた。   そして、バッハが生まれた家族は 代々の音楽家の家系であり、非常に多くの 音楽家を輩出し、オルガンも 一族から学んでいた。 バッハが考えていたのは、 キリスト教的神学観から来る世界観であり、 音楽というものは 神を讃えるためのものであると 固く信 ...

音楽論

<ムーシケーとは>ソクラテスと音楽の名言ーギリシャ哲学における音楽による魂の教育

今日は、ムーシケー、 そしてソクラテスと音楽について 探究してみたいと思う。   ソクラテス(紀元前469年頃 - 紀元前399年)は、 古代ギリシャ、アテナイの哲学者であり、 「哲学の祖」として釈迦、キリスト、孔子と並び 「四聖」と称えられる偉人である。   デルフォイの神託所において、もっとも知恵あるものが ソクラテスであるという神託を受け、 「自分は何も知らない」ということを 自覚しているという 「無知の知」をもとに他の知者を自称する人々を 次々と論破していったことは有名である。 ...

作曲家

ブラームスの性格と音楽における霊感ー内なる神性の輝き(本人が語ったインタビュー)

今日はブラームスの性格と音楽における 霊感を探究してみたい。   J.S.バッハ、ベートーヴェンと並んで ドイツ音楽における三大Bとも称される ヨハネス・ブラームス。 1833年5月7日にハンブルグに生まれたが、 19世紀の音楽史において シューマンやクララ、ワーグナーなど 他の音楽家との関わり合いから、 後世への影響につながっていく様は 非常に興味深く、 また音楽史上でも系譜を継ぎつつ 高みを作った一人であると感じる。   以前書いたシューマンの記事でも紹介したが、 楽曲を発表せず実 ...

作曲家

ショパンのノクターン 2 番と生涯(前半生)ーポーランド民謡の影響

今日はフレデリック・ショパンの生涯について 探究してみたい。   ショパンの生涯(幼少時)と父の教育方針   フレデリック・ショパンは1810年3月1日、 ワルシャワ郊外の小村ジェラゾヴァ・ヴォラで 生まれた。 父ミコワイと母ユスティナの間には 4人の子供に恵まれ、その中では 長男フレデリック、長女ルドヴィカ、 次女イザベラ、三女エミリアと 男一人で女兄弟が3人であった。 敬虔なカトリック信徒であった 母ユスティナから、 聖歌やキリスト教の教えなどを 教えてもらいながら成長し、 母と姉 ...

作曲家

メンデルスゾーンによるバッハ《マタイ受難曲》復活上演の音楽史的影響

今日は、フェリックス・メンデルスゾーンに ついて探究したいと思う。   メンデルスゾーンの生涯と多面的才能 フェリックス・メンデルスゾーン (1809年 - 1847年)は、 北ドイツの港町である ハンブルクで、 銀行家アブラハム・メンデルスゾーン の長男として生まれた。 その幼少時は、裕福で愛情と教育の行き届いた 家庭に育ったようだ。 メンデルスゾーンはその短き生涯を 通して、音楽家としては珍しきまでに 幸福であった。 一八〇九年二月三日ハンブルクの 富裕なる銀行家 アブラハム・メンデルスゾー ...

作曲家

シューベルトのあだ名の変遷と性格「アヴェ・マリア」とリートの輝き

今日は、フランツ・シューベルトの歌曲 について探究してみたい。   シューベルトのあだ名と性格 フランツ・ペーター・シューベルト (1797年~1828年)は、 ウィーン郊外のリヒテンタールに、 教区の教師である父フランツ・テオドールと 料理人だった母エリーザベト・フィッツの 第12子として生まれた。   シューベルトの幼少時のあだ名は フランツルと呼ばれ、 内気で内省的な子供であった。 シューベルトは小さい頃、父テオドールから 音楽の手ほどきを受け、 家族で器楽を演奏するのが 楽しみ ...