今日は、武士道精神が
令和の時代の日本に必要な理由について
探究してみたいと思う。
令和時代は父性が足りない時代
久しぶりに、NewsPicksの
WeeklyOchiaiの番組を観ようと思い立ち、
「【落合陽一×宮台真司×田原総一朗×西田亮介】令和時代に語るべきこと」
という番組を観た。
その中で、”令和時代”とは夢から醒める時代なんだ、
から始まり、田原総一朗氏と宮台氏、
西田氏の議論なども興味深かったが、
落合陽一氏が
”今の日本社会は父性が足りないんだ”
と何気なくいった言葉が、妙に私の心に響いた。
話の経緯は、
日本の政治や経済でリーダーとして自ら改革するような
人材がいなくなったという話の流れだったと思うが、
事なかれ主義、政治主導で与党も
安倍首相に誰も逆らえない、
自民党を割って改革しようとする
人材もいないと嘆いていた。
2019年はアメリカと中国の関税による
経済戦争が激化していく可能性があり、
日本は日本で雇用を生み、
なんとかこの荒波を
乗り越えなければならない。
これからは女性の時代が来ると言われて久しいが、
危機の時代にあってなおこの日本の
ふがいなさ、体たらくの原因は、
落合陽一氏が言った”父性が足りない”という一言に
込められているような気がしてならない。
話は変わるが、
最近、少し病気をして体調を崩しており、
人生であと何年生きられて
何ができるかというようなことを考えていたところ、
ふと”葉隠”が読みたくなり、
三島由紀夫著「葉隠入門」を読んでみた。
葉隠が書かれた時代は、江戸時代中期だが、
このなかに”女風”という箇所がある。
ものやわらかな、誰にでも愛される、
けっして角立たない、協調精神の旺盛な、
そして心の底は冷たい利己主義に満たされた人間、
これが女風である。
この葉隠の時代にも男の脈が女の脈と同じようになり、
男らしい男がいなくなったと嘆いているのだ。
江戸時代という武士の世でも、
平和に安穏として自分の損得と出世を追い求める
若者が増えたと嘆き、
”武士道”の何たるかを語ったのである。
武士道精神が現代の日本に必要な理由
「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。」
生と死の二者択一を迫られたとき、
生きたいと思い、躊躇したり
失敗に終わってなお生きて、
腰抜けとそしられるよりも、
死を選べば仕損じて死んだとしても恥にはならない。
つまり、常に死を覚悟して生きることが
武士道の本質なのである。
現代は死や神風特攻隊などは敬遠される対象であるが、
常に死を意識して、死を覚悟してこの命を
燃焼させて何ができるか、
残りの人生で何を成し遂げられるのかを
命惜しまず考え、行動することが
必要なのではないだろうか。
その意味で、落合陽一氏の
”父性が足りない”という言葉は、
サムライ国家日本であった国が、
戦後精神性を骨抜きにされてしまった
現実にもみえるのである。
しかし、歴史は繰り返し、
江戸時代の中期に女風と呼ばれ、
女っぽい男がたくさんいると嘆かれた時代も
幕末の黒船来航と共に激動の時代となり、
真の武士道を体現する
志士たちが多数出てきたのである。
中国の一帯一路戦略で
日本占領まで視野に入っている段階で、
アメリカと中国との経済戦争が激化している今、
まさに日本は自分で自分の道を
切り開かねば属国となるのみである。
「武士道は死狂ひなり。一人の殺害を数十人して仕かぬるもの。」
武士道とは死に狂いである。
そうした一人を倒すのに、数十人がかりでも
出来かねる場合がある。
これは、宮本武蔵が吉岡一門と
戦った時の情景を思い浮かべると
よいかもしれない。
危機の時代である今、
すぐそこにある危機を知ったなら、
日本の誇るべき精神の一つである
”武士道”精神を取り戻し、
断固として日本の政治を改革し、
日本の国を護り抜く気概を示さなければならない。
野党に政権を任せるだけの器もビジョンもなく、
与党自民党が安倍政権におもねり改革の意欲なく、
国防の決意なく、財政再建といって
消費税増税に走るなら、
いわば江戸時代末期の
国家破綻寸前の幕府のようである。
真に日本の国の改革を望むなら、
現状維持の政権維持を望む自民党でなく、
日本改革の真のビジョンがない野党でなく、
日本の国と国民を守る気概のある
真の保守政党こそ必要である。
日本の国を改革するビジョンと先見性を持ち、
中国との戦争を回避し、
経済を復活させる力を持っている政党である。
今こそ、”サムライ国家”日本が必要な時代である。
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