今日は、源氏の旗揚げについて探究してみたいと思う。
源頼朝の旗揚げに至るプロセスの大切さ
最近、源平の時代に非常に興味が湧いて、
大河ドラマの『草燃える』(1979年)を総集編で観た。(全5回)
源氏と平家は武家の二大勢力であり、
保元の乱と平治の乱の2つの合戦の後、
平清盛が一人勝ちして、
一大勢力を誇った源氏が滅亡寸前までいった時代。
清盛がすべて斬首する腹積もりであったが、
池禅尼の慈悲心によって、幼い頼朝(当時13歳)の命が助かったことから、
すべてが始まったのだ。
源氏の棟梁の20年に及ぶ雌伏、臥薪嘗胆の時代から始まって、
平家滅亡、源氏3代の血脈が途絶え北条執権時代まで描いていた。
私は歴史もののドラマはかなり観ているほうではあるが、
大河ドラマとして、この源平の大河ドラマははっきり言って面白くなかった。
(役者の演技は良かったが)
なぜか、源氏の血脈の内輪もめ、争いや御家人の粛清、
源氏と北条家の鎌倉幕府を維持するための争いなど、
血なまぐさい陰謀ばかり描かれているようで(特に総集編だからか)、
肝心の源頼朝の新しい国造りの志や、坂東武者の心意気や、
北条政子の仏門での国と家族を念う気持ち、宗教的な理想や
武士道の精神が描かれていなかったと感じてしまったからだ。
かなり生意気なことを書いてしまっているようで申し訳ないのだが、
やはり、司馬遼太郎さんの英雄史観で源平を描いたなら、
全く違っていただろう。
最近、ドラマ『坂の上の雲』を見直しているが、
これこそ、日本国民の心を燃え立たせるドラマであり、
歴史というものは描くに足りるドラマであると思うのである。
そんなわけで、かなり長い前置きであったが、
源氏の旗揚げとは、明治維新と同じような革命の時代であり、
現在の日本にも状況が似ているということが、言われている。
そうであるならば、今一度源平の歴史を紐解き、
その精神と時代性を探究する必要があるのではなかろうか。
大川隆法総裁は、霊言の前置きで次のように説かれている。
二十年の伊豆配流の間に北条政子を妻にめとり、北条氏をバックボーンにしたあたりから、頼朝の運勢が変わっていったのではないかと思うのですが、それでも、挙兵して敗れて、もう一回潜ってから再び旗揚げをし、関東の勢力を味方につけ、平家を破っていきました。
引用:『源頼朝はなぜ運命を逆転できたのか』
ここでは、源氏の旗揚げに至るまでの、プロセスを経ることが大事だと説かれている。
伊豆に流罪になって20年雌伏した後、北条政子と結婚して北条家をはじめとした
坂東武者を味方につけてから、挙兵。しかし一度敗れて
命からがら逃げかえり、もう一度再起を図って旗揚げをしてから、
源氏累代の坂東武者が続々と集まり、父義朝が拠点としていた鎌倉に本拠を置いたことで、
いざ!鎌倉で源氏勢力が結集できたのであろう。
歴史を探究し、どんな要素が必要なのか考えてみる必要があると思う。
大川隆法 鎌倉を見て、北条政子や頼朝等のお寺を見ていて、「旗揚げということに関係があったんだ」と。
だから、「旗揚げ観音でもつくって、祈願でもしなきゃいけないかな」と思ったんですよ。
酒井 ああ。
大川隆法 「旗揚げ」という意識が非常に強くあったので、「ああ、当会も今、そういうところに置かれているのかな」ということを思いました。
つまり、最初、「弱小」「劣勢」と思われていたものが、天下を引っ繰り返していく……、旗揚げですよね。旗揚げというのに、関係がすごく強くあるのだということを、昨日、感じたんです。
引用:『大川隆法の「鎌倉でのUFO招来体験」』
源頼朝の旗揚げにみる「人の和」「地の利」「天の時」
ここで考えてみると、
源頼朝が伊豆や安房国にいた時から、
北条政子をはじめとした北条家、
坂東武者という「人の和」、
鎌倉という「地の利」を得たこと、
義経や範頼の合流によって
はじめて「天の時」が到来したのではないだろうか。
大川隆法 ですから、あの時代に、「鎌倉」というのが、日本の歴史を転換するための、一つの“強力な磁場”になっていたのではないかと思うんですね。
そういう意味で、「注目度」は高かったのではないかと思うし、日本が武士道という侍の国になるなら、「鎌倉時代」というのは、どうしても転換点としてあったのでしょう。少なくとも千年ぐらいの大きな影響は出ていると思います。
もちろん、もっと昔、古代からそうかもしれませんけれども、(鎌倉時代は)武士道が固まった時代ではありますよね。日本史としては、非常な転換期ではあったのかなと思います。
引用:『大川隆法の「鎌倉でのUFO招来体験」』
その意味で、現代の政治においても
「地の利」すなわち旗揚げの本拠地のような磁場は
必要ではないかと感じる。
やっぱり、「源氏の世、再び」っていう感じはだな、平家が驕って、平安貴族文化に吸収されかかって、武士として腐ってきているところを、やっぱり、「武士の魂で、もう一回、武士の世、武士の世をつくる」っていうことだろう?
引用:『源頼朝はなぜ運命を逆転できたのか』
平家の驕りと武士の貴族化による堕落、
このままでは日本の国を護れないという民意のもと、
「武士道精神」によって質実剛健の坂東武者である源氏が
「天の時」を得たのである。
翻って、現代のマスコミ型民主主義の衆愚制に陥った日本では、
中国の脅威から国を護ることはできない。
左翼マスコミによる情報操作は、宗教政党を無視し続けているという意味において、
”平家にあらずんば人にあらず”、
マスコミ権力が良しと思う勢力でなければ
政党とみなさないという状態かもしれない。
源頼朝 君たちは、やっぱり、「言葉」と「思想」、そして、「行動」で、この国を変えなければならない。“言葉の銃弾”で変えなきゃいけない。あるいは、“活字の銃弾”で変えなければならないんだよな。
引用:『源頼朝はなぜ運命を逆転できたのか』
大事なのは「言葉」「思想」そして「行動」であり、
「言葉の銃弾」「活字の銃弾」がもっともっと必要だ。
そして、行動し続ける中に目指すべきは、
「人の和」「地の利」「天の時」でもあるのだろう。
最後に、大川隆法総裁の言葉を紹介したい。
伊豆配流二十年を経て、旗揚げし、全盛期の平家を壇ノ浦に滅し、鎌倉幕府を設立した源頼朝に、今、学ぶべき時だと思う。
腐敗しきったこの世の「常識論」を一掃するためには、武士の精神が復活するしかない。
新しい武士道にのっとって、令和日本を見渡してみると、やるべきことは、はっきりしている。
太平の眠りについているマスコミを一喝し、平和ボケしている国民に起床ラッパを鳴らし、さもしい乞食根性をたたき直すことである。
自助の精神を失って、転落していくこの国を、このまま安楽死させるつもりか。
引用:『源頼朝はなぜ運命を逆転できたのか』まえがき
今一度、「武士道精神」による日本の復活が望まれる。
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