今日は、新時代の芸術家の仕事について
探究してみたいと思います。
『「一目見て心打つ」というのは
大事なことなんですよ。
じっくり見れば立派に見えてくるというのもあるけれども、「一目見て心を打つ」という絵は、やはり、魂の奥底から出てくるものだ。この大胆さは美の確信だな。美への確信、揺るぎない自信がなければ、大胆なこの画想といいますか、そうしたものが湧かんのですよ。その美への確信がない人が絵を描くと、てきとうなところでごまかす。妥協する。人々にそこそこよく言われそうな、よく売れそうな絵をかく。しかし、美への絶対的確信がある人は大胆です。』(大川隆法著「ピカソ霊示集」ゴッホの霊示より)
ゴッホの霊示によれば、
「一目見て心を打つ」という絵が、
そのほかの絵と何が違うかというと、
「美への確信」があるかどうか
ということだと説かれています。
魂の奥底から出てくる大胆さ、
美への確信、揺るぎない自信によって
大胆な着想が得られ、
「一目見て心を打つ」絵が出来るのです。
美への確信がない人は、
世間で美しいと言われるような、
よく売れそうな絵を書こうとして妥協する。
しかし、「美の確信」が心のうちにある人は、
妥協せず、大胆な着想で絵を書くからこそ、
魂の奥底から出る霊的波動が込められた
心を打つ絵が書けるのではないでしょうか。
また、画家の仕事の本当の価値について
次のように説かれています。
『画家というものは、この世のなかに、この世ならざるものを見出すのです。そこに、ほんとうの価値があるのです。』(大川隆法著「ピカソ霊示集」ゴッホの霊示より)
画家というものは、
「この世のなかに、この世ならざるものを見出す」
ことにほんとうの価値があるということ。
つまり、画家の仕事は、
「この世のなかにある霊的な美を見出し、
描き出すこと」に
本当の価値があるということなのです。
美の瞬間を捉える仕事
『だから、この世界にはすべてがあるんですよ。絵もある。音楽のような調和もあるのです。それを発見する人が、いるかいないかです、結局はね。美を見てもそれが表現できない人にとっては、写真を撮るのが精一杯であるかもしれない。単に美しかったというだけで、とまるかもしれない。それをあえて、客観的に多くの人にわかるような、そういう普遍的な形にして残すのが、私たち芸術家の仕事であるわけです。美の瞬間を捉える。美の空間を封じ込める。ま、こういう仕事だね。結局は、そういうものです。』(大川隆法著「ピカソ霊示集」ゴッホの霊示より)
ゴッホの霊示によれば、
「美を多くの人に分かるような、
普遍的な形として残す」
「美の瞬間を捉える。美の空間を封じ込める」
ことが芸術家の仕事であると説かれています。
美しいと感じることは、
人間の感じ方によって様々にありますが、
人間は生まれた時から
美醜を感じ取ることができると言われています。
美しいと教えられてそう感じるのではなく、
魂のなかに美しさを感じる部分があるからこそ、
人間は生まれながらに美醜を感じ、
それが世界中の人びとにある程度
共通しているのではないでしょうか。
そうであるならば、
人間が感じる「美」の本質を探究し、
その奥にある霊的な美を見出して
描き出すことが、芸術家の仕事でもあると感じます。
そこには、「美しさ」のなかに込められた
霊的な光や波動を感じ取る
感性を磨くことが必要であり、
美を探究すればするほど
霊的世界を探究せざるを得ないのではないでしょうか。
だからこそ、偉大な芸術家はみな
霊能者である、と言われるのでしょう。
「美への確信」を持つためには、
霊的価値観に基づいた美の探究が必要です。
新時代の芸術家の仕事として大事なことは、
・ 霊的価値観に基づいた美の探究を続け、
「美への確信」を持つ
・「この世のなかにある霊的な美を見出し、描き出す」
・「美の瞬間を捉え、美を多くの人に分かるような、
普遍的な形として残す」
ということではないでしょうか。
新時代を担う多くの芸術家の方々が、
霊的価値観に基づいた美の探究を深め、
「美への確信」を強められることを望みます。
※本記事は、2013年5月1日に旧サイトに投稿した内容を修正・加筆したものです。
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