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芸術の感動の源にあるものとはー芸術の究極にあるもの【この世ならざるものを見抜いていく力】

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今日は「芸術の感動の源にあるものとは」について
探究してみたいと思います。
 
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芸術の感動の源にあるものは神の光

月刊誌「are you happy?」2013年10月号は芸術特集。
そのなかで、
次のように書かれています。
「人に感動を与える芸術のもとと
なっているものは、
意外にも、私は宗教だと思います。
(中略)美しい言葉が永遠に遺っている
ところがあるので、宗教というのは、
芸術に極めて近いところにある
ものではないか
と感じている次第です。」
「芸術というのは宗教に
極めて近いもので、実は、
神の言葉を書き言葉以外で
表現するものが芸術だ
というふうに、私は考えております。
そういう意味で、
宗教性が高まれば高まるほど、
芸術性も高いものになっていく
と思います。」
 
古来より、神の言葉は語り継がれ、
人々の魂を揺さぶり、感動を与え続けてきました。
 
宗教は、神の言葉を伝えるものであり、
仏陀やイエス・キリストやマホメットなど、
何千年も遺っているものには、その言葉のなかに、
人種を超えた世界中の人々の魂が救われ、
感動してやまない何かがあるのです。

 

それは、言葉のなかに、この世ならざる神の光、
神の真理が込められている
ということではないでしょうか。
 
論考の中では、
芸術とは、神の言葉を書き言葉以外で表現するもの
と書かれています。
 
そうであるならば、真なる芸術とは、
神の光、神の真理を表現するものに他なりません。
 

芸術の究極には神がある

ピカソの霊言(ゴッホの霊示)のなかで、
次のように書かれています。
「やっぱり、何ていうか、
芸術の究極にあるのは神ですよ、
結局は神なんだ。
だから、神を描くか、
神の創ったものを描くか、
神の理想を描くか、
結局、最後は、ここだということです。
ここを忘れてはいけないよ。
これがなくて、
この世だけに閉じこもっていては、
芸術家は大きく育たないのです。
「この世ならざるものを見抜いていく」
ということが大事です。
「芸術の究極には神がある」
という考えは、
決して忘れてはいかん。
私はそう思います。」
引用:「ピカソ霊示集」ゴッホ霊示

 
芸術の究極にあるものは神であり、
この世の壁を突き抜け、
「この世ならざるものを見抜いていく」
ことが大事である、ということ。
 
その意味で、新時代の芸術を探究するならば、
この世ならざるものの探究が必要であり、
大宇宙の神秘や、この世界を創られた
神の探究が不可欠となってくると感じます。
 
結局、作品の奥に込められたこの世ならざる
霊的波動を伝えることが芸術でもあるし、
最も素晴らしい理想の霊的波動を持つ者は、
神であり、神の愛であろうと思います。
 
神の言葉を言葉以外で表現するものが芸術
であるならば、
神の言葉の理念が込められたデザインやブランド、
物が溢れた未来の街は、美しい街であることでしょう。
 
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「美しい」と感じることのほんとうの意味

『神は全知全能です。神は、万能であって、万物のすべてを支配されています。
そうである以上、神のお心のなかには、すべてのものがある。
すべての性質、一切合切が入っています。
その子供である以上、人間の心のなかにも、神の姿のすべてが入っているのです。
その心のなかに、美というものを感ずる魂の面があるのです。
魂の切り口があるのです。
その魂の切り口が、美を司る神霊たち、精霊たちの呼吸を感じとるのです。
これが、「美しい」と感じることの、ほんとうの意味なのです。』
(大川隆法著『ピカソ霊示集』から抜粋)
私たちが美しいと感じるとき、なぜ感じるのでしょうか?
理性的に考えて、感じているのではないはずです。
 
”美しい”という感情は、心から湧き上がってくる自然な気持ちであり、
これが美しさの基準であるからと教えられて美しいと感じるのでは
ありません。
 
生まれながらに美しいと感じる心はあり、それは好みはあるにしても、
人類にとってある程度共通のものを美しいと感じます。
 
それは、唯物論的な考え方、人間機械論的な思想では
どうしても納得ができないものです。
 
美しいと感じる心は、人間の本能によるものだという考えは、
精神的な活動を否定する考えです。
 
人間の本質が肉体ではなく、魂であり、霊的存在である
ということを受け入れて初めて、
”美しい”と感じることの意味が、分かるのではないか
と思います。
 

霊的な美と物質的な美

現代の芸術は、多種多様で本当に玉石混交だと感じますが、
霊的価値観を前提として、いま流行っている芸術や文化を
見たならば、本当に魂が”美しい”と感じているものと、
そうでないものに分かれてくると思います。
 
心のなかに、美を感じる魂の切り口があり、霊的な美の波動を
感じ取って”美しい”と感じているとするならば、
霊的価値観に基づく新しい文明における芸術は、
より素晴らしい作品とされるのではないかと感じます。
 
霊的な美の波動を感じ取るためには、
霊的価値観への転換が必要です。
 
有名な女優、俳優はオーラが違うとよく言われます。
また絵画においても、本物は観る者を惹きつける”何か”が
あるのでしょう。
 
霊的価値観を持ってこそ、
物質的な見た目の美と、その対象からにじみ出るオーラや
霊的波動の美しさ、輝きなどの霊的美の違いが
分かってくるのではないでしょうか。
 
霊的価値観への転換が、
新しい時代の文化を創っていく土台となると感じています。
 

※本記事は、2013年1月30日、9月2日に旧サイトに投稿した内容を修正・加筆したものです。

 

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ありおん

Aoide Production代表。”文化の創りかた”ブログ管理人。 Vyond、Premiere proで動画制作|HP制作|楽曲制作|ブログ|新しい文化をカタチに!仕事依頼はAoideProductionホームページをご覧ください。

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