芸術の感動の源にあるものとは

  • 2018年8月14日
  • 2022年4月10日
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今日は「芸術の感動の源にあるものとは」について
探究してみたいと思います。
 
月刊誌「are you happy?」2013年10月号は芸術特集。
その中の大川隆法総裁ご論考のなかで、
次のように書かれています。
「人に感動を与える芸術のもとと
なっているものは、
意外にも、私は宗教だと思います。
(中略)美しい言葉が永遠に遺っている
ところがあるので、宗教というのは、
芸術に極めて近いところにある
ものではないか
と感じている次第です。」
「芸術というのは宗教に
極めて近いもので、実は、
神の言葉を書き言葉以外で
表現するものが芸術だ
というふうに、私は考えております。
そういう意味で、
宗教性が高まれば高まるほど、
芸術性も高いものになっていく
と思います。」
 
古来より、神の言葉は語り継がれ、
人々の魂を揺さぶり、感動を与え続けてきました。
 
宗教は、神の言葉を伝えるものであり、
仏陀やイエス・キリストやマホメットなど、
何千年も遺っているものには、その言葉のなかに、
人種を超えた世界中の人々の魂が救われ、
感動してやまない何かがあるのです。
 

 
それは、言葉のなかに、この世ならざる神の光、
神の真理が込められている
ということではないでしょうか。
 
大川総裁は、
芸術とは、神の言葉を書き言葉以外で表現するもの
と説かれました。
 
そうであるならば、真なる芸術とは、
神の光、神の真理を表現するものに他なりません。
 
ピカソの霊言(ゴッホの霊示)のなかで、
次のように書かれています。
「やっぱり、何ていうか、
芸術の究極にあるのは神ですよ、
結局は神なんだ。
だから、神を描くか、
神の創ったものを描くか、
神の理想を描くか、
結局、最後は、ここだということです。
ここを忘れてはいけないよ。
これがなくて、
この世だけに閉じこもっていては、
芸術家は大きく育たないのです。
「この世ならざるものを見抜いていく」
ということが大事です。
「芸術の究極には神がある」
という考えは、
決して忘れてはいかん。
私はそう思います。」
引用:「ピカソ霊示集」ゴッホ霊示

 
芸術の究極にあるものは神であり、
この世の壁を突き抜け、
「この世ならざるものを見抜いていく」
ことが大事である、ということ。
 
その意味で、新時代の芸術を探究するならば、
この世ならざるものの探究が必要であり、
大宇宙の神秘や、この世界を創られた
神の探究が不可欠となってくると感じます。
 
結局、作品の奥に込められたこの世ならざる
霊的波動を伝えることが芸術でもあるし、
最も素晴らしい理想の霊的波動を持つ者は、
神であり、神の愛であろうと思います。
 
神の言葉を言葉以外で表現するものが芸術
であるならば、
神の言葉の理念が込められたデザインやブランド、
物が溢れた未来の街は、美しい街であることでしょう。
 
神の世界を表現する芸術家が
数多く出てくることを望みます。
 

※本記事は、2013年9月2日に旧サイトに投稿した内容を修正・加筆したものです。

 

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