指導者的愛とエゴのための自己実現の違いとは

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今日は、前回に引き続き「思い」と「行い」と

「結果」について探究してみたいと思う。

 

1.指導者的愛とエゴのための自己実現の違い

 

思いと行い、結果は、

幸福の科学の教えでいうならば

『正心法語』の「解脱の言葉、仏説・八正道」

の第1「正見」に説かれている「因縁果報」、

原因があって縁起(きっかけ、プロセス)があって、

果実があって報いありという言葉でもある。

そして「善因善果、悪因悪果」でもあり、

善き種を播けばよい果実が実り、

悪い種を播けば悪しき果実が実ってしまう

ということは、

悪を去り、善を取れ」という

第6の正精進の教えにもつながる。

 

愛の観点から思いと行い、結果について考えてきたが、

善悪の観点から見るとどうだろうか。

『宇宙人による地球侵略はあるのか』に

次のように説かれている。

善悪の問題には難しいものがありますが、結局、軍事・政治的なものが絡んできた場合、最終的には、結果責任まで行きます。

 したがって、動機責任と結果責任の両方をチェックしなければいけませんね。「どういう動機でもって、その行為をなそうとしているのか」、そして、「その結果どうなったのか」という、この二つの観点からチェックしなければならないということです。

引用:『宇宙人による地球侵略はあるのか』

善悪の判定は難しいものがあるが、

政治家やリーダーにおいては、

「結果責任」が重要で、その際には

「どういう動機をもって

その行為をなそうとしているか」

「その結果どうなったのか」

この2つの観点からの点検が必要

ということが説かれている。

 

具体的には、

・動機は欲心からの行動で結果は失敗に終わった

・動機は善だったが結果が失敗に終わった

・動機は望ましくない欲心からの行動だったが

 結果は成功した

・動機は善であり、結果も成功した

という4パターンが考えられる。

 

ここにおいて、大事な観点は、

指導者(リーダー)として、

私心があるか、公の心で判断しているか、

ということでもあると思う。

 

『感化力』には次のように説かれている。

指導者的愛とエゴのための自己実現とは、結局、動機の部分に違いがあります。ほんとうに相手をよくしていこうとしているのか。それとも、手柄をすべて自分に帰するためにやっているのか。この違いです。(中略)

 指導者的愛によって人を導き、相手に変化を要請している場合と、自己の都合や利益のために人を利用している場合とを、はっきり峻別しなくてはなりません。そのためには、「自分のためだけに仕事をしてはいないか。周りの人たちのことを考えているか」ということを常に点検する必要があります。

引用:『感化力』

指導者的愛とエゴのための自己実現とは、

動機の部分に違いがある

と説かれている。

「その動機に私心があるか」、

「本当に善なる公の心、愛の念いでやっているのか」

が問われてくるということである。

 

2.結果を出すためのプロセスに違いが現れる

 

そして、もう一つ、思いと結果との間に

「行動」、もっと言えばプロセスの部分も、

点検されなくてはならない。

例えば、動機が愛であり、

多くの人に良かれという念いで

始めたとしても、

当初はそういう純粋な気持ちで

政治家を志し当選したとしても、

その志を実現する過程で、

正当な方法ではなく

暴力団などの手を借りたり、

買収行為や危険な手を使って

その結果、自分が思い描いていた

志が成功した、という場合である。

『心眼を開く』には、次のように説かれている。

要するに、その過程、成功するためのプロセスも非常に重要で、「いったいどういう努力をして、そういう結論に至ったのか」というところが、非常に大事なのだということも分かるようになりました。あるいは、「自分の頭で考えること」や「体験から考えることも大事だということが良く分かりました。

引用:『心眼を開く』P.83

その過程、プロセスが正当であるか、

ということが、非常に大事なのだ

ということを説かれている。

これは、最初の表側と裏側の違いのなかで

「思い」重視か「結果」重視かということを

書いたが、「結果」重視となればなるほど、

どんな手を使ってでもという方向で

悪に染まってしまうことにもなりかねない。

 

そして、裏側の天狗、仙人、

妖怪という霊存在の特徴として、

人を驚かせたり奇跡を起こすことが好きなのであるが、

エル・カンターレの説かれる

正当でまっとうな成功への道、

自助努力と忍耐と教養の道を歩むのではなく、

一足飛びの成功、

もしくは念力でぐいぐい押していく

覇道のようなプロセスを

通ってしまいがちなのかもしれない。

 

「兵は詭道なり」という言葉があるが、

ビジネスの世界で勝ち残るために、兵法として

詭道を用いる、奇策を用いて勝利することもある。

だが、ここで大事なことは、

表側の考え方としては、

エル・カンターレの説かれる王道の成功への道を

歩むことが大事であり、

なぜそれが大事かと言えば、

その人がリーダーとなり

多くの人々にまねされる立場となったときに、

自分と同じ方法で指導できるか

ということでもあるのだろう。

 

戦いに勝つことや、ビジネスで勝利することも

多くの人々の幸福にとって

非常に大事なことであると思うが、

「この世とあの世を貫く幸福」

「この世とあの世を貫く成功」

を目指すときに、このプロセスの点検も

忘れてはならない部分である。

 

今までの「思い」「結果」

「プロセス」の点検を読むと、

では宗教的人格の人は、

結局「思い」を大事にし、

「プロセス」を正当にしていく

ということを考えすぎるがゆえに、

この地上で弱々しい善人に

なってしまうのではないか、

勝てないのではないか

という疑問もあるであろう。

『信仰のすすめ』には、次のように説かれている。

「宗教家として、この世において事業を全うできるかどうか。完成できるかどうか」ということは、「その人が、どれほど合理的思想を持っているか」ということに関わっています。宗教的で霊的なる人は、たいていの場合、合理的な思想を持っておらず、神秘的な思想、摩訶不思議な思想を持っています。神秘思想と合理思想を両立させるのは非常に難しいことであり、人は、そのどちらかに必ず傾くことになっているのです。

引用:『信仰のすすめ』P.198

イエス様の時代であれば、

「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」

と言われ、心の王国を創ることを目指された。

宗教家は、心の王国を

目指していればよかったかもしれない。

 

しかし、今世、エル・カンターレが説かれている法は、

あの世でもこの世でも勝利する法である。

その鍵は、神秘思想だけでなく、”合理思想”との両立

が大切であると説かれているのだ。

ヘルメスは神秘思想と合理思想の両方を持っていました。同じことは、ヘルメスの転生の姿であるゴータマ・シッダールタにも言えます。彼は、神秘的な思想を持っていると同時に、この世における合理的な思想も持っていました。これが、ヘルメスやゴータマ・シッダールタとして転生した魂の持っている、一つの特徴なのです。すなわち、この魂は、あの世とこの世の両方に責任を持っている存在であるということです。(中略)

これは、「この世とあの世を貫く幸福を実現しようとしている、霊的なる存在がある」ということを意味しています。この存在のことを、幸福の科学では「エル・カンターレ」と呼んでいます。エル・カンターレは、この世とあの世の両方に責任を持っている存在なのです。

引用:『信仰のすすめ』P.198

エル・カンターレは、

この世とあの世の両方に責任を持っている存在であり、

「この世とあの世を貫く幸福を

実現しようとされている存在」である。

繁栄思考のなかで、

「霊的覚醒が、この世的繁栄をもたらす」

という思想を広げようとされていた。

 

”神秘思想と合理思想の両立”という

この点が、難しいことではあるが、

現代に広がる唯物論、全体主義、

そして形を変えたバアル信仰に打ち勝ち、

この世でも勝利するための鍵であり、

弟子として求められている考え方であると思う。

 

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