本物の自信を持つ方法

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今日は、本物の自信について探究したいと思う。

 

1.本物の自信の見分け方

 

現在、私は教育関係にいるため、

学生との面談などで「もっと自信を持て」

と言っていることもよくあった。

 

そんな私も最近、少し自信を無くすことがあり、

「もっと自信を持て」と言われることもあり、

なぜ自分に自信が持てないのか、について

考えてみた。

 

普段は特に自分が自信がないとは思っておらず、

なぜ自信がないように見えるのか、

見た目や仕草、行動の問題を工夫したら

自信があるように見えるのか

というようなことを考えたこともあった。

 

しかし、自信がないように見える理由について、

あるきっかけで一つの気づきがあったので

書いておきたい。

 

それは、「自分に自信がない」というのは、

「自分の能力を信じ切れていない」

ということに気づいたのだ。

 

この理由については後ほど探究するとして、

自信について大川隆法総裁の説かれる論点を

紹介しつつ、考察していきたい。

 

自信と増上慢について、次のように説かれている。

自信と増上慢を見分ける基準を明らかにしておきたいと思います。

 増上慢の人は、自分がほめられるとうれしいのは当然ですが、他の人がほめられるとうれしくありません。特に、自分の関心領域のあたりで他の人がほめられると、うれしくないのです。これが、いちばんよく分かるチェックポイントです。

 たとえば、あなたが人前で上手に話をすることに自信を持っているとき、人前で上手に話している人を見て、「おもしろくない」などと思うようであれば、あなたの自信は少し怪しいということです。

引用:『感化力』

 

自分の自信が本物なのか、増上慢になっているのかは、

自分の関心領域で他の人が褒められた時に

「祝福」できるか、「おもしろくない」と思うか

という違いで分かるということである。

 

自分に自信があると思っていても、

他の人が自分が得意な領域で

褒められているのをみると、

途端に心がぐらつくならば、

それは他人との比較、他者からの評価を

自分の自信の支えとしているのであって、

自分が周りより上だと思う心は、増上慢であり、

奪う愛となってしまっているということなのだ。

 

自分に自信があると思っているのに、

なぜか心が安定せず

蓄積効果が出てこない場合には、

正当な自信と奪う愛の慢心の間を行き来して

真なる自信にたどり着いていないのかもしれない。

 

 ほんとうの自信は正当な自己評価です。それは、「自分は仏の子として独自の個性を持ったものである」ということを充分に尊重しているものなので、絶対価値にかなり近いものです。

 そのため、ほんとうの自信は、他の人に対する評価が上がったり下がったりすることによって、揺るがないのです。

 他の人に対する評価の上がり下がりに左右されるような自信は、真の自信ではないのですが、それを自信だと自分で強く思い込んでいるならば、増上慢の可能性がきわめて高いのです。

 このように、他の人に対する評価の上がり下がりで心が動くかどうかが一つの基準です。

引用:『感化力』

 

本当の自信とは、

仏の子として独自の個性を持つ魂である

ということへの自己信頼でもあると思う。

 

「他の人に対する評価で

揺るがないのが本当の自信」とあるが、

これは他の人との比較や、

上司や評価者が誰を評価するかなど、

そういう相対的価値観ではなく、

仏の光のひとかけらである仏性を持つ魂としての自分は

尊い存在なんだという絶対的価値が根底にあると思う。

 

永遠の生命として魂修行をしているという真実、

信仰なくして、本当の自信に至ることは難しい。

 

 本物の自信がある人には、「他の人を生かしていこう」という気持ちがあります。あるいは、自分より劣る人を見たときに、「この人を、優れた人、素晴らしい人にしたい。この人にきっかけを与えたい」という気持ちがあります。本物の自信がある人は、他の人をいろいろなかたちで導けるのです。

 しかし、その人と一緒にいると他の人が傷つくのであれば、その人の自信は本物の自信ではないのです。

 これは、非常にはっきりと分かる例です。

 職場などで、「自分は、どうも他の人から疎んじられている。自分は浮いている」という感じがしたならば、その人は、すでに増上慢に入っています。

 要するに、そういう人は、「自分は愛されている」「自分は尊敬されている」という気持ちが欲しくてしかたがないわけです。そのため、そばにいる人は、あくなき自己愛を感じ、何かを吸い取られていくような気がするのです。

引用:『感化力』

 

本物の自信がある人は、

他の人を生かしたい、導きたい

という気持ちがある、と説かれている。

反対に、

その人といると他の人が傷ついてしまう、

裁かれたり馬鹿にされたりして

遠ざかってしまうようなら、

その人の自信は本物の自信ではないのだ。

 

疎んじられたり、周りの人が

なぜか自分から離れていくようなら、

増上慢になっているかもしれないと気づき、

反省して謙虚に原点回帰し、

与える愛から始めることだ。

 

やはり、自己中心的な愛、

自己愛や、評価を求める

奪う愛になっている可能性があるし、

仙人や天狗、妖怪などの裏側の傾向性も、

また自己愛が強いと説かれている。

 

この傾向性に気づいたならば、

本当の自信を持とうと決意することだ。

 

2.本物の自信を持つ方法

 

では、本物の自信とは何か。次のように説かれている。

自信の根源にあるべきものは「真理への確信」です。どれほど強く真理を確信しているか。これが、あなたがたの自信になるのです。

 どうか、強い信仰心を持ち、真理を確信し、「少々の非難や批判、世間の陰口、この世的なる浅薄な常識などに負けてなるものか」という気持ちでいていただきたいのです。

引用:「愛、自信、そして勇気」

自信の根源にあるべきもの、

それは「真理への確信」である。

この言葉を何度反芻し、繰り返し読み、

そして真理を確信するために、

まだ教学が足りないから

自信がないのだと思っただろうか。

 

これまでは、自信がないのは教学が足りないから、

という段階で考えが止まっていた部分があった。

しかし、それでは、もう一つ足りない

ということに気づいた。

教学をしているだけでは、

自信を持てるようにはならない。

 

自信は、持とうとしない限り持てないのだ。

心の世界において成功者となった人の周りには、成功の事物が集まってきます。成功者が集まってきます。成功の雰囲気も漂ってきます。まるで磁石のように、“砂鉄”を引きつけていくのです。

 この意味において、「自信を持つ」ということなくしての成功はありません。自信を持たないで、たまたま、宝くじが当たるがごとく、成功運を引き当てるようなことがあったとしても、そういうものは、やがて、その人から去っていくでしょう。

 勝利の女神、成功の女神、幸福の女神は、それをよく調教する人のところにとどまるのです。そして、その女神を調教するためには、「自信を持つ」ということが大事なのです。

引用:『成功の法』

 

成功するための秘訣、

鍵が、「自信を持つ」ことだと

説かれている。

「自信を持つ」人の成功波動のオーラが、

成功者を引き寄せ、成功も集まってくる。

 

では、どうしたら、

本物の自信を持つことができるのだろうか。

 私は、自信というものには裏打ちが必要であると言っておきたいのです。急場しのぎのために、「自分は強いのだ。勇気があるのだ」と言い聞かせることをもって「勇気の原理」とは言いません。「勇気の原理」はまさしく、人生途上における自信の形成過程そのものでもあるのです。

 その自信は、決して机上の空論であってはなりません。決して理想論のみであってはなりません。決してこの世ならざるものの力を頼るだけであってはなりません。

 それは、現実生活において日々困難を克服し、そして困難克服の経験そのものを自らの自信へと変えていった者たちに燦然と光っている、その額の宝石でもあるということなのです。

引用:『神理文明の流転』

 

ここでは、人生途上における自信の形成過程にこそ、

「勇気の原理」が必要と説かれている。

 

人生問題において日々困難を克服し、

困難克服の経験そのものを自らの自信へと

変えていった者たちに燦然と輝く光、

それが本物の自信であるということは、

人生のなかで「常勝思考」のように

苦難困難を「勇気の原理」で乗り越え、

魂の教訓として学びを抽出し、

悟りとして変えていった者が

手にできるものが

本当の自信であるということなのだ。

「たとえ立場は低くても、自分もまた、仏性を持っている仏の子である。そうであるならば、仏の子として、やるべきことがあるはずである」と考えなければいけません。

 上にある者には、「謙虚さ」が求められますが、下にある者や低い立場にある者には、「勇気」と、自分で磨き出すところの「自信」とでも言うべきものが必要とされるのです。

 自分で「自信」を磨き出さなければいけません。自信は、精進によって生じるものですが、基本的には、やはり、「自分は仏の子である」と信じているかどうかにかかっています。「自分も仏の子なのだ」と強く信ずることができるならば、確実に、目の前に道が開けてくるのです。

引用:『選ばれし人となるためには』

 

下にある者や低い立場にある者、若い者は、

「勇気」と、

自分で磨きだすところの「自信」が必要

と説かれている。

 

ここで強調したいことは、

自信というものは、

自然に湧いてくるものではなく、

自分で「自信」を

磨きだすべきものであるということなのだ。

 

自信は、精進によって生じ、

自らが「仏の子である」ということを信じ、

そして「仏の子の自覚」だけでなく、

「自らが仏の子であるならば、

自らの個性の強みは必ずある。」

「自らの魂の能力、潜在能力を信じ切る」

ということが大事であるのだ。

 

他人との比較で、自分なんて駄目だと

自信を無くしてしまう人は、

自分をもう一度客観視してみることを

お勧めしたい。

 

この部分では能力が足りないが、

この部分では良く出来る部分もある。

とプラスの方向でトータルで見て、

「どうせダメなんだ」と思ってしまう自分と

「勇気」を持って決別し、

「仏の子としての自分の魂の強みを信じ切る」

ことで、苦難困難を乗り越えて悟りに変え、

本物の自信に変えていけるのだ。

 

要するに、

自分のマイナスの思い込み、刷り込みによる

自己信頼のなさに原因があったのだ。

批判や足の引っ張り合いなどはよくあることだ。

しかし、自分の強みを信じ切り、

まず思いにおいて愛の念い、善き念いを発し、

勤勉に正しいプロセスで努力することが大事である。


その際、自分の仏性と能力を信じ切り、

手堅く努力を重ねることだ。

結果は、一番最後についてくる。

これを信じて、努力をしていきたい。

 

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